Jun 13

11412273_10153387045296228_8869594076332366863_n10672248_10153387045131228_1987491052568188239_n11430122_10153387045136228_7709062310991965384_n11391209_10153387045386228_2978685460520294202_n11390337_10153387045016228_8805161148092181681_n11427238_10153387045321228_6659728874212881695_n11430249_10153387045441228_1291787742592415331_n10985502_10153387045426228_5894148077232261089_n10253872_10153387044806228_6514406228355718672_n11428029_10153387045171228_6085252431791236872_n1908146_10153387044821228_137659530759191833_n11407166_10153387045471228_2275213752175923064_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

ご報告が遅くなりましたが、先週水曜の“オリージャス・デ・トゥリアーナ”ライブはお陰様で無事(?)終了しました。(?)の理由はまたこの後でご説明するとして・・・明後日にセビージャを発つため、なんだかバタバタしています。日本へ持ってゆく衣装や、マントン、靴、小物・・・etcその山を見ているだけで荷造りする気が失せます・・・しかも今日はサン・アントニオ。私の夫の日なので、これから出かけるし。というわけで、隙間時間を見つけてブログアップ!

“オリージャス・デ・トゥリアーナ”。ここのタブラオは以前ご紹介したかもしれませんが、トゥリアーナのグアダルキビル川沿いにある“Flamenquería”(フラメンケリーア)というフラメンコ学校の中にあるタブラオです。川に面している壁がガラス張りになっているのでタブラオの中からグアダルキビル川が見えてとっても素敵なロケーション。ほぼ毎日フラメンコショーが開催されていますよ。

今回の共演アーティストは数年振りに共演のギタリスト、エウへニオ・イグレシアス。そして数ヶ月前に別のタブラオで共演した歌い手、ロサリオ・アマドールでした。久しぶりにエウへニオのギターで踊りましたが、やはり素晴らしい。ギターが上手いのはもちろんのこと、舞踊伴奏もうまい。いやいや、スペインの舞踊伴奏ギタリストは皆上手いのは当たり前なのですが、エウへニオの場合はなんというのか、特別。

最近は仕事の前にギタリストや歌い手と事前に合わせをすることはほとんどありません。スペインが経済危機ということもあり出演料が減っていますから、仕事量も最小限といったところかな。でも私の場合はそれでよいのです。特にエウへニオのような素晴らしいギタリストと共演できるのであれば、むしろ事前に合わせをせずにぶっつけ本番の方がお互いにいいものを出せる。もちろんそれにはお互いをプロフェッショナルなギタリストとして、歌い手として、踊り手として尊重した上での信用と信頼があってこそなのですが。数年振りの共演で大丈夫かな・・・とちょっと心配した部分もあったのですが(自分が大丈夫か?という意味において)全然問題ない。むしろエウへニオのギターによって何かを引き出してもらえたように感じます。お互い何を弾くのか、何をどう踊るのか分からないため、その瞬間瞬間の集中力、瞬発力がきっと尋常ではない状態になっているのでしょう。ほっほおう、そうきたか、それではこれでどうだ、という丁々発止の掛け合いがあって、それがフラメンコの醍醐味、少なくとも私にとっては。

歌い手のロサリオ・アマドールも私の好きな歌い手。そして歌っている間にパルマ(手拍子)を休まない。これもポイント高いです。歌い手が何人かいる場合は、自分の番でない歌い手にパルマを任せて、自分の歌の番の時にパルマをたたかずに歌に集中することができる。でも歌い手が一人の場合は、その歌い手が歌もパルマも担当しなくてはならない。歌いながらパルマをたたくというのは、もちろん歌だけ、パルマだけよりも難しい。ただ普通に踊るよりも、バタ・デ・コーラをはいて踊る方が難しいように。

いくつか反省点があります。そのうちの一つ。なんと衣装が裂けてしまった・・・床においたマントンを拾おうとしゃがんだ瞬間にお尻の部分がビリリリリリーと音をたてて裂けました。(あ、お尻じゃなくて、衣装ね、裂けたのは。)うわー、まずいー。しかしあとはマントンを拾ってはける(舞台袖に引っ込む)踊りの終わりの部分だったので、とっさにマントンを腰回りに巻いて、裂けた部分を隠して去ってゆきました。

まずい・・・パンツ見えたか?でも、いつも万が一のためにベージュのパンツにしているから、万が一見えたとしても一瞬で動いている時だからバレなかったかも。エウへニオもロサリオのなんとも言っていなかったし・・・。楽屋に帰って衣装を脱いで裂けた部分を見る前に、ぎゃーん!!!!

なんとはいていたパンツはベージュではなく、ショッキングピンクだった!!!

何やってたのだろう、私は・・・。これは反省反省、大反省・・・

そういえば、数年前、カディスのアレグリアス・コンクールの決勝前日にも衣装のお尻の部分が裂けたことがあった・・・その決勝用に作ってもらったまだ新しいバタ・デ・コーラで、まだ5回くらいしか使っていなかったように思う。それが決勝前日、最後の練習の時にやっぱりお尻の部分の縫い目がざーっと裂けて、家に帰って一生懸命自分で縫ったものでした。でもそのバタにはまだ続きがあって、今度はブラウスのチャックの部分が、今度は決勝当日、さて、これから舞台に立つ!という時にチャックが裂けた・・・皆さんご存知だと思いますけど、チャックって一度裂けると一旦は留まっても、また何かの拍子に裂けますよね。真っ青になって、チャックの部分を安全ピンでばちばち留めてもらって(留めてくれたのは歌い手のナタリア・マリンだった。)、その上から、安全ピンが見えないように、念のため持ってきていたフレコ(飾りフリンジ)で隠して本番に臨んだのだった・・・あれは本当に死ぬかと思った。しかもその決勝はカディスのテレビ局が一部始終を録画して全スペインに放映、そしてその番組は今でもYOUTUBEでバッチリ映っている。

万が一、そのチャックが舞台の上で裂けたら???しかも前日に裂けたお尻の部分の縫い目もその時に裂けていたとしたら???

・・・・その動画はフラメンコではなく、アダルト系で検索できるようになっていたかもしれない・・・危機一髪。

ちなみにその時の動画はこちら(萩原の出番は28:00くらいから)→2011年カディス・アレグリアス舞踊コンクール決勝

はー、いろいろありますが、がんばって踊っております。(笑)

そして、日本では・・・

★8/26(水)・27(木)キッド・アイラック・アートホール(東京/明大前)
第3回ソロ公演「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか」

詳細は→こちらクリック

★9/6(日)第2回アントニオ・ペレスの仲間たち en Osaka

詳細は→こちらクリック

にて踊りますので、チケットお申し込みは ticket.layunko@gmail.com(ハギワラ)まで宜しくお願い致します!

では今日はこの辺で・・・出かける支度をしたいと思います。

写真:アントニオ・ペレス

2015年6月13日 セビージャにて

Jun 3

11391286_10205505702856449_4064000059839792717_n1453540_10205505703016453_5056101002000293755_n10167983_10205505704096480_5529218620112389404_n11377318_10205505704256484_6938466134302509853_n11350579_10205505705256509_2051189994540657627_n11407259_10205505704656494_5525376877730912808_n11401280_10205505705696520_6931566953753726789_n11412453_10205505706896550_8859769191351165048_n22502_10205505706696545_1342779014009224634_n11401527_10205505707416563_170565358528332388_n11391364_10205505706376537_7945701408802792421_n11390322_10205505706176532_8065640207553909851_n22503_10205505702936451_4415265968975070598_n11401182_10205505704216483_6012368868917905285_n11113631_10205505705416513_1123266967798093762_n

Jun 2

_DSC2671みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

エバ・ジェルバブエナのセミナー6日目、最終日です。今このブログを書いているのはもうセミナーが終わって数日経っているのですが、まだいろいろなことが思い出されます。それだけ内容が深く、自分もたくさん考えたからかなあ。

エバのクラス。これまでのタンゴの総復習。といっても、同じ振付でありながらいろいろな可能性を探ってゆく。パソは一緒でも身体の向きを変える、ブラッソの動きを変える、進む方向を変える。その度に同じパソがまるで違ってみえる。ただしそれがぱっぱっとできる人はエバ舞踊団のロレーナとマリアくらい。その他みんなはあたふた。パソだけでも難しいのに・・・やっぱりエバの元で訓練されている踊り手はすごいんんだなと、いっつもロレーナかマリアの斜め後ろをマークしていた(笑)萩原は感心する。感心している場合ではないのだけど、とにかくエバの意図を汲み取るのが早い、そしてそれをあっと言う間にやってのけてしまう。

エバが教えてくれた何でもないタンゴのマルカへもすごかった。私は気付いてしまった。それは動きではない。タンゴのコンパスの飲みがあるからこそ出る間。その間があることによって、そのマルカへはタンゴになる。ただの足の運びではなく。そしてエバの動きからはそれが如実に見える。感じられる。だからエバのタンゴは素晴らしいんだ。エバが近くで見本をちょっと見せてくれるだけで、おおおおおおおおーとのけぞってしまう。この人はエバ・ジェルバブエナなんだ、ということを改めて思い知らされる。

一番難しかったのは、そのタンゴの難しいパソをしながら、100歳の100kgのおばあちゃんのペソを出すというもの。どうだすのか?とエバに言われて、みんなうーん。ロレーナもマリアもうーん。シンプルなマルカへでペソを出すのはイメージとして分かりやすい。(実際できるかは別として)でも難しいパソや早い身体の動きをしながらそれを出すには?生徒の誰も動けないので、エバがやってみる。

おおおおおおおおおおー (ブログ描写不可能)

・・・・この人はやはりエバ・ジェルバブエナだった。

最後はパントマイムのクラス。これまで通り、クラスの最初に皆自由にスタジオを歩き回る。最初に教えてもらった空間感覚を身につけるために、全体を俯瞰し、常に空きのある場所を歩くようにする。今日はそれにプラスして、先生がストップ!と言った瞬間に止まり、目を閉じる。先生が何人かの生徒に質問する。「あなたの隣にいる人は誰?」「あなたの後ろには何人いる?」「あなたの左側にいる人のTシャツの色は?」「靴下ははいている?」はっとする。全体を俯瞰していたようで、私の身近にいる人に気を配っていなかった・・・。

この能力に長けているのが私の母である。一緒に歩いていると、「さっきの人のネクタイ曲がっていたね」とか「今の人の髪型なんだかもじゃもじゃしてたね」とか、すれ違いざまに全く見知らぬ人を観察しているのである。なんでそんなに観察できるの?と思うのだけれど、いつもこんな調子。電車に乗っていれば座っていても目玉はきょろきょろ、常に誰かを観察している。

そっか〜、私にはその能力が欠けていたのか〜。でもそれは本当は能力だけの問題ではない。それが次のレッスン内容で明らかになる。

今度は先生が受講生を半分のグループに分けて、同じ動きをさせる。フラメンコで言えば群舞みたいな感じ。必然的に背の低い人が前になり、徐徐に後ろに向かって背が高くなる。私は第2グループだったので、第1グループを観察していた。たった一人の動きはただのパントマイムでもそれを全員が行うことによって、全く別のエネルギーが生み出される。それが群舞の素晴らしいところ。みんなすごいなあと感心して、私達の第2グループ。

一人の背の高い男の子が発言した。真面目に。「不公平だ!僕は背が高いからいつも後ろにさせられる!」・・・・・・・・お前、バカか???という雰囲気の元に、彼を除く第2グループの全員が(私も含めて)ゆっくり振り向いて彼を見つめる。割と年配の受講生が「背の高い人が後ろの時もあれば、前に来る事もあるでしょう」と母親が子どもを諭すような口調で静かに一括。パントマイムの群舞が始まる。

難しい。私は3列目。一番先頭の人の動きに全員が合わせるのだけれど、私の位置からは先頭の人が見えない。よって2列目の人に合わせる。2列目の人は先頭の人に合わせているに違いない、という発想の元に。そして時々先生の指示で一番先頭の人が別の人に交代する。その度にその先頭の人に皆合わせる。そして、最後に先頭になったのは前日のクラスで狂っていないのに狂っていると思われている人物をパントマイムした彼女になった。突然彼女は四つん這いになり、スタタタターと斜め前方に走り出した。あまりの突然の変化に皆ついてゆけず、残り(私も含め)は全員呆然となり、なんとか彼女のまねをしようとするが皆揃わない。そして私達第2グループは終了。

マイムの先生がこれを通して教えたかったことはこういうことだと思う。一人でパントマイムをするのではない、自分の他にも一緒にいる人間がいる。その人達のことをどれだけ考えることができるのか、その人達の動き(身体だけでなく心の動き)に機敏にいられるか、相手に大して寛容であるか。自分が自分が、というのではない。その意味では上手にこなした第1グループよりも、私達第2グループの方が反面教師になったのではないかと思う。身長が高い故にいつも後ろにさせられて不満を持っている人、他の人達の存在を忘れて(もしくは無視して)自分勝手に動く人。

しかもこれはマイムの世界の話だけではない。フラメンコにおいても同じことあいえる。群舞だけの話でもない。後ろに座らされて舞踊伴奏をすることに嫌気がさしているギタリスト、歌い手。本当はオレは前でソロで歌えるのに、弾けるのに。というのが見え見え。それは舞踊伴奏をしている時に全部現れている。確かに上手いかもしれないよ、でもフラメンコってそういうことではないんだよ。そういう“オレオレギター”や“オレオレカンテ”との共演はムリ。それから私が、私がっていう踊り手。ギターもカンテもどうでもよくって、パルマをたたいている仲間もどうでもよくって、いかに自分がカッコ良く目立って踊るのかのみを目的としている踊り手。それもちょっと見れば分かる。フラメンコってそうではないんだよ。アーティスト側だけの問題でもない。観客もそうだ。特にフラメンコを知っている人。(と思っている人)なんとか批評してやろうとあら探しをする人、あのパソをとってやろうとか、必死になっている人。あの衣装のデザインを盗んじゃえ、とボランテ(フリル)の数を数えている人。そんなお客さんは悪いけど、何もフラメンコを共有していない。だったら何も知らなくても、歌やギターを聴き、踊りを観て「わー素敵だった!」と言うお客さんの方がよっぱどフラメンコを感じている。共有している。

マイムの最後は、皆で円陣になって各自一人ずつのストレッチ方法を皆で共有する。私は身体の側面を伸ばすストレッチをやった。これは自分の自主練習の時もクルシージョの時にもいつもやっているもの。なぜか笑いが起きる。なぜ笑うのかが分からない。クラスが終わった後、マイムの先生が私に話しかけてきた。「なぜ笑うのか分からなくてもいいのよ。でも人が笑う時には、その奥には『恐怖』が隠れていることがある。そのストレッチができない、という恐怖ね。それをごまかすために笑うのよ。あなたのストレッチはとても興味深かった。あなたがストレッチにかける時間も。私達は(多分欧米人はという意味)そこまで待つことができないの。耐えることができないのよ。あなたにこのセミナーに参加してもらえて私はとっても学ぶことができた。どうもありがとう。」

ちなみにそのストレッチは決して東洋的なものではない。私がフラメンコを学んでいてフラメンコの先生から教えてもらったストレッチを掛け合わせたものだ。だからちょっと違和感を感じた部分もあるのだけれど、それでも先生から「参加してくれてありがとう」と言われたのは初めてだったのでなにか新鮮だった。普通は生徒がありがとうございました、って言うしね。私もマイムの先生から学んだことは数知れない。最初はなんでマイムをやるのかな、フラメンコのセミナーで、と思っていたのだけど、毎日毎日の内容が少しずつつながってきた。そんな内容を話し、最後に、実はマイムの発表でUSBが使えなくて発表できなかったのだけど、あなたに習ったことを元に発表したかったのだ、と伝えました。あのアレグリアスの歌詞も説明して。その瞬間にマイムの先生の目が輝き、私の目の前でそれをやってくれました。猟師と鳩と死に行く人と。私は凍り付いてしまった。そう、そういうことをやろうとイメージしていたけど、でももしやる機会があったとしても私にはマイムの技術がないから先生みたいにはできなかったと思う。そう言うと、先生はこう言っていた。

「重要なことは技術を持っているか持っていないかではないのよ、自分でこうしようと思ったことを本当にやってみること、その直感に蓋をしないこと」

・・・・そういえばエバも何度か同じことを言っていた。

「自分が感じたことはやりなさい、何があってもやらなくてはならないのよ」と。

ここでエバのセミナー6日間が終わりました。きっと時間が経って気付くこともあるでしょう。お読み下さった皆様ありがとうございました。自分が忘れないようにと思ってブログにし始めたのですが、それによっていろいろ考えが広がったり深まったり、自分にとってとてもよかったのだと思います。

そしてセミナー6日間の間、実は家の中がぐっちゃぐちゃでした(笑)時間もないし身体も脳みそも疲れて、全然掃除ができなかった。アントニオには悪いことしちゃったな。・・・というわけでこれからお掃除開始です!

では皆さんまたお会いしましょう!

写真:アントニオ・ペレス(クラス風景の写真はまた後日アップします♪)

2015年6月2日 セビージャにて

Jun 2

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日のブログ「エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/5日目①」の続きになります。

その後、また円陣になって座り、いろいろなエバがいろいろな話をしました。今日のクラスの方式はピナ・バウシュがよく使う方法だそうで、そうしてピナは作品を作ってゆくそうです。エバの作品「Lluvia」(雨)も同じ手法で作られたものだということ。ただし、本番の1週間前までそれをずっと繰り返していたので、誰もどのような作品になるのか分からなかったらしい。初演が終わった後、ビデオを通して見て初めて自分たちが何をしたのか理解したそう。

それから舞台作品を作る上での困難さも話していました。ただフラメンコの曲をつなげていくだけのフラメンコ公演では飽きられてしまう。そして、一つの作品を作っても、すぐに次の作品を求められる。自分が作品のイメージや意図を持っていても、舞台監督の意図によって、自分がこうしたい、という希望を貫けないこともあること。その作品がどれだけ売れるか、というプロデューサーの商業的観点も排除はできないこと・・・etc。

確かにいくら自分がアーティストとしてこうしたい、という希望を持っていてもその作品が観客に受け入れられなければその作品が世に出回ることはない。つまりアーティストとして活動できない。でもそれを全て迎合してしまったらそのアーティストとしての存在価値はなくなる。もしかしたら売れるかもしれないけれど。エバは言っていた。どうしたら観客を拍手喝采にできるのか、彼女は知っている。でもそれはあえてやらない。なぜならそれでは簡単過ぎるから、だそうだ。・・・分かる気がする。

それからどう話題が変わっていったのか忘れたけど、エバの言葉で残っているもの。

「舞台の下で他人を幸せにできない人は、舞台の上でも観客を幸せにできない」

そう、本当にそうだと思うのだけど、その瞬間、前日のことを思い出してしまった。それまで、もういいや、って割り切って、すっかり忘れてまでいたことが私の脳みそを支配してしまいました・・・。しばらくそれでまた集中できなくなってしまって、それからのエバの話はあまり耳に入ってこなくなってしまった。

やっと耳に入ってきたのはパントマイムの先生が話し始めた時。舞台を効果的に使う方法なんかをいろいろ教えてくれて、それはエバもメモをとったりしていました。興味深かったのは、エバがパントマイムの先生に「フラメンコにおいて技術の面で足りないところは?」と質問したら、マイムの先生は「自分を解放するところ」と答えたところ。マイムの先生は謙遜してか、「私はフラメンコをあまり観た事がないのだけど」と前置きしていたけれど、あまり観てなかったとしても、重要なポイントは絶対に観ているはずなんだなと思った。そういう回答が出て来るということは。

そしてこんな話しもしていた。「フラメンコは踊り手がただ踊るだけでなく、ギターや歌の助けがある。彼らの出す音や歌や、パルマ(手拍子)、ハレオ(かけ声)も一体になってフラメンコが形成されている。そこが他のジャンルの踊りと異なるところ。パントマイムでは自分の動きしか観客とコミュニケーションをとる方法がない。だからその動きにものすごく厳密にならないと相手にちゃんと伝わらない。そもそも日常生活においても相手に大して怒ったり、嫌な気持ちになるのは、相手とのコミュニケーションが不足している場合が多い。相手が悪い人だから、とかではなく。」

それを聞いてはっとした。昨日のことはもしかして、そのコミュニケーション不足が原因だったのかも・・・やっぱりエバと話そう。もういいやって自分で片付けてしまったけれど、本当はよくない。きっと私はその気持ちに蓋をしたようで、それはいつまでもくすぶり続ける。それは私にとってもエバにとってもよくない。

でも、それでもクラスが終わった後、ちょっと迷っていました。こんなことエバに話すのはやっぱり悪いかな・・・ちらっとエバの顔を見た時にエバを目が合いました。その瞬間にもうエバの方に私は歩き出していました。「エバ、ちょっとお時間よろしいでしょうか?そんなに長くかかりません。昨日私が感じたことをお話したいのですが・・・」と話しかけて、エバから名前を聞かれたこと、「ジュンコ」と答えた瞬間にエバが首を振ったこと、何人かの生徒がクスクスっと笑ったことを伝えました。

エバが「あなたが何て言ったのか聞き取れなかったのよ。ジューコ?ジュンコ?って、どちらか分からなかった。」そう言った時、今まで考えていたことが全てへなへなと崩れてゆきました。そしてこう続けました。「誰かが笑ったのかは気付かなかった。でももし誰かが笑ったとしても私にはそんなつもりはない。あなたがお金を払って時間を費やしてこのセミナーに学びに来ていることは分かっているから、そういう人を笑うことは私はしない」そしてこうも言っていました。「首を振るんじゃなくて、『なんて言ったの?聞こえなかった』とその時あなたに聞き直せばよかったのかもしれないわね。でもあなたもそういうことはその場で言わなくてはダメよ。そんな思いをずっと持ち続けるなんて理不尽だわ。あなたのためによくない」。私が「あの時はびっくりしてしまったし、その瞬間皆の前で言うことはできなかった。」というと、エバは「もう気に知るのはやめなさい」と言って、なんと、私のほっぺたにキスをしてくれたのです。。。信じられない・・・、普段、にこりとも笑わない人が。呆然としてしまったのだけど、エバが立ち上がったので慌てて私も立ち上がり、「ありがとう」と言ってそのまま家に帰りました。

やっぱり直接話してよかった。もし話さなければ私は彼女を誤解したままだった。コミュニケーション不足。たった一つ仕草で、たった一言が出ないだけで。そしてその時に思い切って話す勇気がないだけで、人は人から完全に離れてしまう。人は人を完全に離してしまう。

・・・きっとそういうことが日常生活でもあり、逆に私がクルシージョで教えている時にもあるのかもしれない。特に日本では思っていることを口に出す文化がない。むしろ黙ってしまったり、もしくは相手とも関係性を重視するあまり思ってもいないことを口にしたり。特に私が先生の立場で、相手が生徒さんであれば余計にそれは難しい。きっと自分の知らないうちに誰かを傷つけていることもあったかもしれない・・・。

そんな話を家で夫にしたところ、「それじゃあ、明日写真撮りに行こうかな?」と言っている。「うん、よろしく」

というわけで最終日はアントニオの写真付きです。

2015年6月1日

May 31

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

エバ・ジェルバブエナのセミナー5日目。昨日はいろいろありましたが、一晩寝て、朝起きたらなんだかどうでもよくなっていました。ネガティブなことはすぐに忘れてしまうんです。いや、忘れるわけではないのですが、ま、いっか、そういうこともあるし。と思えるようになってしまう。それがいいのか悪いのかよくわかりませんが。

・・・・が、朝起きてゲッと思った。エバに宿題を出されていたんだ・・・すっかり忘れていた。どうしよう。その宿題というのは、何でもいいから自分の好きな音楽を用意し、それに振付するというもの。ただし、典型的なフラメンコの動きは使ってはいけない。そして単なる振付ではなく、何を伝えたいのか訴えるもの、そして今回のセミナーで学んだ内容を使うこと。げーーーー。家を出るまであと20分。脳みそをフル回転させて、そうだ!ドローレス・アグヘータのマルティネーテを使おう!と思いつきました。ちょうどその前の日の晩、ドローレスの歌を聴いていて、でもその公演では私の好きな歌詞を歌わなかった。だからそれを使おう!と。でもあまりに典型的すぎるな・・・とも思いました。今回のエバのセミナーでは固定観念を破るというか、視野を広げることを学んでいる。その趣旨にあったものがいい、でも音楽はフラメンコがいい・・・

はっ!!!と思いついたのが古いアレグリアスの歌詞でした。

Al tiro de un cazador una paloma caía

Al tiro de un cazador que cuando la recogía

El mismo se ve horrorizó

Porque bajo de la ala vio que tenía

????  chiquito casi decía;

A mi consuelo mare y a mi consuelo

Dale el ultimo beso porque me muero.

自分で聴き取りしたので間違っているかもしれません。???の所はどうしても聴き取れない。でも内容はこういうことだ。

猟師の一撃で鳩が撃ち落とされた。

その猟師が鳩を拾い、あるものを見て恐れおののいた。

それは鳩の羽の下にあった小さなメモだった。

「母に安らぎと慰めを。最後のキスを母に。私はもう死ぬから。」

アレグリアス。喜びという意味を持つ曲の歌詞がこれだ。これを初めて聴いた衝撃は今でも忘れられない。そしてこの歌詞の持つメッセージ性。最後にぐわっと胸をつかまれ涙が出る。死ぬ間際に母へのメッセージを伝書鳩に託した人、その鳩を撃ち落としてしまった猟師。何も知らずに子どもの死をいつの日か知ることになる母。たった一つのアレグリアスの歌詞の中にこれだけのものが詰まっている。

朝からさめざめと泣いて、でも泣いている場合ではなくそれをUSBに落としてクラスに向かう。猟師と、鳩と、メッセージを託した人とその母。その4人(厳密には3人と1羽)を表現するにはどうするか。重要なことは感じること。そしてその動きを客観的に見ること。根本的なことはフラメンコと変わらない。ただフラメンコ特有の動きを使わないだけ。

クラスでは立候補した人がその宿題を発表してゆきました。コンテンポラリーみたいな振付が多かったかなあ。確かにセミナーで学んでいる内容はその中に含まれているのは分かったけれど、振付としては興味深いし、みんな踊りも上手だなあと思うのだけれど、何かこう、イマイチ伝わってくるものがない。難しいなーと思ってみていたら、エバにあてられ私の番になりました。

ところが・・・持って来たUSBが使えない・・・なんとしたことか・・・

・・・結局私は発表できませんでした。ちゃんと事前にUSBが使えるかチェックすべきだった。宿題を忘れていて直前にバタバタと準備した私が悪い。大大大反省。

その後、ちょっと変わった(とセミナー内で噂されていた)女の子が発表しました。それがすごかった。彼女はタラントのファルセータを使って即興で表現していったのだけれど、有無を言わさず彼女の世界に引き込まれてゆきました。すごいなー、こんな人もいるんだ、と私は感心していたのですが、彼女の発表が終わった後、みんなの質問や批評が厳しかった。

「あなたは何を表現してもいつも同じような表現方法」

「なぜいつも髪の毛を下ろして顔を隠すのか」

「なぜ正面を一度も見ないのか」

確かに、これまでのセミナーで行ったパントマイムのクラスでやった彼女の表現方法と大して差がない。みんなの言っていることはある意味正しい。すごいなーと感心していた私は、見ていたようで何も見ていなかったのかもしれない。

その後エバは彼女と、もう一人の発表した男の子を選び、二人同時に音楽なしでその動きを各自やるように指示しました。それぞれがそれぞれの動きを全く関連なしで踊っている。そして時としてエバが一人に、その動きをしながら前に進め、とか、もう一人にその場から動くな、とか指示をする。そして最後の瞬間、それまで全く別々だった二人の動きが関連性を持った時、鳥肌が立ちました。すごい・・・エバ。その瞬間それまでの意味が全てつながり、一つの作品になっていました。

そしてその後のエバの指示がまたすごかった。その彼女にある命題を与えたのです。

「周りの人間は皆、あなたが狂っていると思っている。でもあなたは本当は狂っていない。それを表現しなさい」

一瞬、シンとなりました。セミナーのみんなが、彼女のことをちょっとおかしいよね、と噂していたことをエバは知っていたのだろうか?その噂をエバが耳にしていたのかしていなかったのかは分からない。でも数日間のセミナーでエバはそれを見抜いたのだろう。その命題を彼女に出したエバはやっぱりすごい。

その後の彼女の表現もすごかった。本当は狂っていないのに、人から狂っていると思われて、自分ではもう狂っているのか狂っていないのか分からなくなってしまった人、そのギリギリの所を彼女は表現しているように私には感じました。でもそれでは本当は狂っていないということがよく分からない、これだけだとやはりこの人は狂っている・・・そう思った瞬間に、エバが一言言いました。

「あなたは狂っていない。シャツを直し、髪をきちんと結んで狂っていないことを証明しなさい。」

その通りにした彼女は、本当に狂っていない人になっていました・・・・

エバすごい・・・

そしてさらにエバはたたみかけます。

「今度は狂っている風をするのではなく、正常な状態で他人から狂っていると思われているように表現しなさい。」

こ、こ、これは難しい・・・狂ったふりをするのは簡単だ。でも正常な状態で実は狂っていると思われているというのを表現するにはどうしたらいいんだ・・・

そしてエバはパントマイムの先生に彼女を指導するように言いました。マイムの先生は彼女をずっと見続けていました。何も言わず、何分間も。彼女は先生を見ない。先生に「私を見なさい」と言われてようやく先生に向き合う。でも身体が斜めになっている。正面から見ていない。髪の毛で顔を隠して、その隙間から先生を見ている。先生が「こっちに来なさい」と言う。彼女は少しずつ近づく、四つん這いの半身のままで。でもある所まで来てそこから近づかない。マイムの先生の言葉は落ち着いていたけれど、中に厳しいものが含まれていたように感じた。多分私には分からないことをマイムの先生は見抜いていたのだと思う。そしてそれはエバもきっと気付いていたのだと思う。だからマイムの先生に託したのだ。今度はマイムの先生が、「他の人に近づきなさい」と指示を出す。彼女は自分を取り囲んでいる他の生徒に少しずつ、一人、一人と近づいてゆく、段々と彼女の心がほどけていく(ように私には見えた。)。

そして今度はエバの指示で受講生の男の子(フアン)が彼女の真後ろに立つ。エバが言う、「フアン、今あなたか感じていることを彼女に言いなさい」。フアンは静かに彼女の耳元で言う。「お前は狂ったふりをしているだけだ。分かってるんだよ。」エバが言う。「もっと大きな声で」。フアンが叫ぶ、「お前は狂ってなんかいないんだよ!!!」

その瞬間、彼女が真顔になり、泣きそうな顔になる。エバは言う。「泣きなさい。」彼女が泣きたいのか泣きたくないのか私には分からない。涙は出ていない。でも顔が泣いている。そしてまたエバは言う。「笑いなさい」その瞬間、彼女は微笑んだ。

今まで一度も見た事がなかった、彼女の微笑みだった。

そしてそのクラスは終了した。

(エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/5日目②に続く)

May 30

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

たくさんの方からブログに関してコメントを頂き嬉しいです。お読み頂きありがとうございます。

さて、4日目。(実はこのブログを書いている今はもう最終日が終わってしまっているのですが、たまっていた分を少しずつアップしてゆきますね。)のっけからなんですが、とても悲しいというか、がっかりというか・・・そのようなことがありました。エバのクラスの時です。エバに「あなたの名前は?」と聞かれました。わっ!!!、エバに名前を聞かれた!!!嬉しくて嬉しくて一瞬目の前に虹が広がり、私が「ジュンコ」と答えると、その瞬間エバは首をふり、何人かの生徒がクスクスっと笑ったのです。

・・・・え・・・・どういう意味・・・

そしてその瞬間、私の頭によぎったのは、あ、エバは私の名前を覚える気が全然ないんだ。私の名前を耳にした瞬間に覚えるのを諦めたんだ、ということでした。

誰がクスクスと笑ったのかは分かりません。でもその瞬間目のあった他の生徒は、あなたの気持ち分かるよ・・・という眼差しを送っていました。私の口から出た言葉は「簡単なのに」それだけでした。

それからしばらく私の頭の中はぐるぐるとそのことばかり巡っていました。カルメンとかマリアとかじゃない。外国人の名前というのはスペイン人にとって覚えにくい。でもジュンコというのはそれ程難しい発音ではない。「ジュン・コ」たった母音2つ。亡くなったファラオーナは私の名前を聞いて「“ジュンケ”(yunque)みたいだね。なんてフラメンコな名前なんだ」と嬉しそうに言ってくれた。これまでに習ったフラメンコの先生も皆、ジュンコと呼んでくれた。時間はかかっても、時々他の日本人の名前と間違っても、最後にはジュンコと呼んでくれた。確かにたった数日間のセミナーで20名もの生徒の名前を全員覚えるのは難しい。でも名前を聞いたのはエバ、あなたじゃないか。だったら少なくとも、ジュンコって発音してみればいいのに。ジュンコって名前を耳にした瞬間に首をふるってどういうこと?

昔、こんなことがあった。とあるクラスでとある大先生が、外国人の生徒に「サラ!サラ!サラ!」と呼んだ。彼女はサラ、という名前ではない。「サイ○○」という名前だった。要するに、「サイ○○」では覚えにくいから、なんとなく似ているスペイン女性の名前「サラ」にされてしまったのである。本人の許可なく。「サラ」というのがどうも自分を呼んでいるらしいと気付いたサイ○○はつかつかつか、といつもその大先生が座っていらっしゃる場所まで歩いてい行き、何かを話した。そして私達生徒の所に戻ってきた。サイ○○は明らかに怒っている。私が心配して「どうしたの?」と聞くと、彼女ははっきり言った。「『私はサラじゃないわ、サイ○○よ。私は毎日毎日、あなたのすっごく難しい振付やテクニカを一生懸命学んでいるというのに、あなたは生徒の名前一つすら覚えられないのですか?』って言ったの。」

!!!!

あっぱれ、である。全くもってその通りである。数日のクルシージョではない。毎日毎日クラスがあり、それが何ヶ月間も続くクラスなのだ。多分その時だと思う。

初めて、自分の名前は大切なものなんだ、ただの名前じゃないんだ、自分の存在そのものなんだ、って気付いたのは。ちなみにその大先生は、その日一日中「サイ○○、サイ○○、サイ○○・・・」と彼女の名前を念仏のように唱えていたらしい。・・・さすが、大先生もあっぱれである。

そんなことを思い出し、またその前の日のクラスでのエバの言葉を思い出した。

「私には限界がない」

その瞬間私はどん底に落ちた。舞台の上で限界のない人が、生徒の名前すら覚えようとしない?覚えられないのではない、覚えることを放棄したのだ。だったら最初から名前なんて聞かなければいいのに・・・。「tú」(君)でずっと呼ばれる方がまだいい。外国人の生徒だ、始めて耳にする名前に違いない、覚えるのは無理だろう、そう瞬間的に判断して首をふったのだろう。「私には限界がない」と言った本人が。名前を覚えてもらえないことが残念なのではない。覚えるのが大変なのは十分承知しているが、記憶力の問題でもはない。そうではなく、最初から脳みそをシャットアウトしている、その彼女の限界に気付いた時、そして彼女自身がそのことに気付いていないということに私が気付いてしまったから、愕然としてしまったのだ。数年前のセミナーで○○でなければフラメンコではない、とか、フラメンコとは△△である、という凝り固まった考えから解放してくれたのがエバだった。そして彼女の踊りは言わずもがな・・・限界がない。だからエバのセミナーを受けているのに、それなのになんで????

その後のクラス内容はなんとなく覚えているけれど、もう集中できなくなってしまった。途中からなんとか頭を切り替えて学ぼうとしたけど。タラントのコンパスに合わせて一人ずつ歩き、コンパスのある部分で、あえてフラメンコらしくない、フラメンコでは使われないポーズで止まるというもの。全員一通りやって、そのうちのいくつかの動きをエバが選び、それらを生徒達につなげさせ、振付にしてゆくというもの。それから、似たような趣旨で皆の前で好きなポーズをとり、何を表現したのか言葉で表現すうるというもの。エバが影響を受けたピナ・バウシュのレッスン方法、作品の作り方らしい。

そんなこんなでエバのクラス終了。もんもんとしたまま、パントマイムのクラスが始まる。そのクラスで学んだことは、パントマイムというのは、ただ物体がない状態で、あたかも物体があるように動くということではないこと。(これまで私はそう認識していた。)よりリアルに見せるために動きを誇張したり、あえて逆にすることもあるということ。例えば、肉料理を食べるパントマイムでは、実生活ではナイフは自分の方に動かし肉を切るけれど、マイムでは逆にナイフを外側に大きく動かして肉を切っているように見せる。そうすることで肉を食べるために切るという動作がより観客に伝わる。先生が試しに両方やってみたけど、本当にその通りだった。びっくり。

ロダンが始めて彼の彫刻を世の中に出品した時、世間の人は、皆ロダンがモデルの身体に直接石膏を塗って型をとり、彫刻にみせかけたと疑ったらしい。それだけ本物そっくりだったということ。でも実際は、彫刻の方が本物の人間のモデルよりも筋肉が隆々としていたらしい。その隆々さは比でなかったという。つまり、ロダンはより本物に見せるために、本物そっくりにそのまま彫刻したのではなく、あえて強調したということだ。何かで読んだそんなエピソードを思い出しながら、多分同じようなことなんだろうな〜と思う。でもフラメンコはどうなんだろう、効果を狙って誇張したりあえて逆にしたりすることはあるけど、それでフラメンコの真実からかけ離れてしまうこともあるんじゃないか・・・

その日はクラスの受講生の2人と一緒にクラスの後ご飯を食べる。セミナーの話をいろいろして、やっぱり自分の中でひっかかっていた名前のことを2人に話す。1人は私のそばにいて、同情の眼差しを送ってくれた人。もう1人はこう言ってくれた。「私もその時、ひどいなと思った。皆の前では何も言わなかったけど・・・」

それを聞いて、やっぱり私だけの妄想ではなかったんんだ・・・とさらに落ち込む。家に帰ってそのことを夫に話す。「クラスの写真を撮りに行きたいと思ってたけど、行かない。そんな人の写真なんて撮るつもりはない」と怒っている。

なんだか決定的になってしまったようで、完全に落ち込む。「で、どうするんだ?」と夫に聞かれ、「明日、エバと話そうと思う」と言った。別に文句を言うつもりはない。でも自分が感じたことを落ち着いて伝えようと思う。エバならきっと受け入れてくれるだろう。逆恨みするような人ではない。

昨日のクラスでこんな話もあった。ある生徒が、自分はやせっぽっちで背が高いのでタンゴには不向きだと習っている先生に言われたんだけどどうしたらよいか、とエバに質問した。エバは怒った。「もし私がそんな先生に習っているなら、その瞬間にクレーム書を提出し、金輪際その先生のクラスを受けない。どんな先生であれ、生徒の肉体的な特徴をあげつらって生徒を踏みにじることは許されない。」

きっと、そんなエバとなら腹を割って話せるだろう・・・エバにとって大して重要でないことかもしれないけれど、私にとっては私自身の存在に関わることだったから。

これが4日目の出来事でした。このブログの最後に、皆様にお願いがあります。この話しには続きがあります。この4日目だけだとエバがとっても悪い人みたいになってしまう。でもそうではないことが、次の日のセミナー5日目に判明しました。エバと直接話した結果、それはほんのちょっとしたコミュニケーションの行き違いから起こってしまったことだということが分かったのです。エバはやっぱりエバだった。それをこちらのブログアップ後、5日目としてアップしますので、そちらもお読み頂ければ幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

2015年5月30日 セビージャにて。

« Previous / Entradas AnterioresEntradas Recientes / Next »