Mar 28
¨SOMOS JAPON¨ ⑪ ピラール・オルテガ
La Yunko | Somos Japon | 03 28th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はピラール・オルテガへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第11回 ピラール・オルテガ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】私は日本の人たちと同じ状況にいない。そこで生きていない。自分の人生と比べることはできないわ。私の人生はよくある人生よ。比べられるものがないわ。

【答え②】言葉に表すことができないわ。比べられる人生ではないから。

【答え③】家族が幸せになること。素晴らしいアーティストになること。素晴らしい人間になること。素晴らしい人間というのは、例えば人を助ける人ね。

【写真のメッセージ】「このつらい時を乗り越えるための、たくさんの元気と強さを。あなた達を支え、私の全ての愛情を差し上げます。 ピラール・オルテガ」

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2011年3月28日 セビージャにて。

※3月30日(水)に、セビージャ・チャリティー公演第2弾が行われます。(左記チラシ。公演詳細に関しては、スペイン、セビージャ在住フラメンコ研究家であり、今回の企画責任者である志風恭子さんのブログ3月28日付にて。blog-post_28.html

前回26日の第1弾公演では裏方としてお手伝いさせて頂きましたが、30日の公演では企画協力し、日本人グループの中の一人として踊ります。昨日初めて日本人グループ全員顔合わせの練習を行いました。出演者が確定したのが一昨日、本番まであと2日ですのでしっかり準備をしたいと思います。明日から公演日までのインタビュー掲載はお休みになるかもしれませんが、自分のできる形で日本のためにがんばりたいと思いますのでよろしくお願い致します。

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Mar 27
¨SOMOS JAPON¨ ⑩ アリシア・マルケス
La Yunko | Somos Japon | 03 27th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はアリシア・マルケスへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第10回 アリシア・マルケス

(フラメンコ舞踊家、「アリシア・マルケス・フラメンコスタジオ主宰」)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】2年前の母の死と、5ヶ月前の夫の死。

【答え②】ずっとつらかった。でも私にはつかむものがあった。娘よ。彼女が私を助けてくれたの。そして自分に愛情を注いでくれる人達。彼らのためにも乗り越えた。

【答え③】一日一日を生きること。今現在、それだけよ、持っているのは。明日あれをやろう、これをやろうと考えて後回しにしないの。今のうちにそれをやるのよ。今日できることを。そして人生を楽しむこと。人はいつ死ぬか分からないから。それを私は学んだわ。

【メッセージ(写真)】生には、前に進みたくないことや時があるのは分かっています。でも乗り越えるためには愛の全てを心の中から探して取り出さなければならないのです。 愛と時間を。」

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このインタビュー企画を始めるまで、私はアリシアに習っていました。一人一人生徒をきちんと見て、毎日毎日一生懸命教えて下さる。時には厳しく、時には冗談を交えて。そして私は、アリシアが楽しそうに笑う時の目元のしわがとても素敵だなとずっと思っていました。幸せに年齢を重ねた女性のしるし。たくさんの生徒に愛され、かわいいお嬢さんの成長を見守るアリシア。今の私は「小じわ小じわ〜」と気にして目元美容液を塗りこんでいるけど、いつの日かアリシアみたいなしわが刻まれている女性になりたいなと思っていたのです。

だからインタビューの第一質問の答えを聞き、私は凍り付いてしまいました。全然知らなかった・・・。そんなことをおくびにも出さずに教授活動を続けていたアリシア。彼女にはきっと、彼女が考えている以上に、彼女を愛している人がたくさんいると思う。なぜならアリシアはどんな人にも愛を与えているから。

このインタビューのせいでつらい思いをさせてしまった。「ごめんなさい・・・。」と言ったきり胸が詰まって何も言えなくなってしまった私に、アリシアは優しく微笑んで言いました。「正直言って、今の私には日本の人に与えられるほどの元気がない。でも重要なことは、一人一人が力を合わせることなの。そうすることで何かを動かすことができる。私で何か役に立てるのなら、いつでも声をかけてね。」

「愛と時間を」・・・・・・この言葉はアリシアが自分自身にも向けた言葉なのかもしれません。

2011年3月27日 セビージャにて。

Mar 26
¨SOMOS JAPON¨⑨ アナ・モラレス
La Yunko | Somos Japon | 03 26th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はアナ・モラレスへのインタビュー&彼女からのメッセージです。「自分のつらい体験を話すことで日本の人達の役に立つなら何でも話すわ。私には隠すことなんて何もないから」そう言うアナの笑顔でインタビューが始まりました。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第9回 アナ・モラレス

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】父の死。(アナ、笑顔で答える。)12月で父が亡くなって1年経った。父の死は自分の人生の中で一番つらいことだったわ。父は私の身体の一部だったの。自分の人生を失ったのと同じ。自分の腕や足ともぎ取られたのと同じだった。私は完全に空っぽになったの。人は死ぬ。それは当たり前のことだけど、絶対に乗り越えることなんてできない。今までと違う方法で生きて行くしかないのよ。愛する人を失う苦しみ、悲しみに対して準備できている人なんていない。どんなに勉強しても、どんなにいろいろなことを教わってもね。
【答え②】落ち込んでそこから抜け出せない人も多い。でも私はアーティストだから、自分の痛みや苦しみを表現するの。表現できるの。踊りが私にとって立ち上がるための薬だったのよ。でも踊りでなくてもいいのよ。文章を書く、絵を描く、お年寄りを助けることだってそう。私たちスペイン人はただ黙っていることができないの。何もしないでいることができないのよ。
自分にとって「自然」でいること。無理して前に進む必要なんてない。痛みがあるならそれと一緒に生きるの。人生には喜びがあるように悲しみもある。両方あって人生なの。でもそこに留まっていてはだめ。通り過ぎなければ。でも飛び越えてはだめよ。「自然」でいるのよ。時間が少しずつ痛みを和らげてくれるから。だから「自然」にしていればいい。
周りの人達の愛情や友情も必要。人前で自分の痛みを話すことを恐がらないで。泣くことを我慢しないで。そしてそれを受け止めてくれる人達がいるということを忘れてはだめ。自分がいつまでも苦しんでいたら、そんな周りの人達が幸せになれない。あなたの周りには、あなたが幸せにしなくてはいけない人がいるのよ。
【答え③】私のプロジェクトは踊りと、家族を作ること。私個人の人生。まず踊りの方では、自分の第2作品目のソロ公演を行いたいわ。今その公演名を考えているところなの。今、社会がとても冷たい感じがする。それがフラメンコにも現れていると思うの。でもフラメンコに必要なのは「感情」よ。伝統的なスタイルだろうが、前衛的なスタイルだろうが、特殊な舞台装置を使おうが、それはいろいろあると思うけど、でもどんな形にしろ絶対に失っていけないのは「感情」。スペインは今経済危機で、たくさんの人が職を失い、皆無気力になっている。それがフラメンコにも現れているわ。でも私は、観客に楽しんでもらいたいの。自分も楽しみたいの。そういう舞台を創りたい。そして他のアーティストとの共演ね。ルベン・オルモ、ハビエル・バロンの舞台へ参加したりね。私は一人で踊るよりいろいろな人と共演したり一緒に何かを創るのが好きなの。教授活動やタブラオで踊るのも好き。でも今はソリストとして踊りたい。そういう時期なの。
そして自分個人の人生は、ヘスス・ゲレーロとの人生。素晴らしいギタリストでもあるのよ。私の公演にも参加してくれている。今日は二人で家を見に行ったの。子供を持ちたいと思っているの。
【メッセージ】
つらいことがあると夢は消える。踊る意欲も。でもそれを持たなくてはいけないのよ。持てるように自分がポジティブにならなくてはいけない。探すのよ。今それがないのなら、いつの日かそれを手に入れることができると信じること。信じるのよ。
写真の中のメッセージ:心を生まれ変わらせる力を持たなければならない。幸せになるために。あなたの周りの人もあなた自身との幸せを分かち合えるように。アニータ(萩原註:アナの愛称)
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2011年 3月26日 最初から最後まで笑顔で、そして一生懸命インタビューに答えてくれたアナ。彼女の内面の強さと優しさに心を打たれました。 セビージャにて。
Mar 25

みなさんこんにちは。

今日は3人の踊り手へのインタビュー&彼らからのメッセージです。最初はマヌエラ・レジェスへのインタビューをお願いしていましたが、マヌエラのお友達ジョランダ、アレハンドロも急遽協力して下さる事になり、彼らの希望で3人一緒のインタビューになりました。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第8回 マヌエラ・レジェス、ジョランダ・エレディア、アレハンドロ・グラナドス

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】マヌエラ(写真上左):私には日本の状況と比較できるようなつらいことはなかったの。これまでの人生の中で浮き沈みはあり、愛を失ったことはあったけど、そんなことは比べものにならないし。そんな私がこのインタビューに答えるなんて正直言って恥ずかしいの。
ジョランダ(写真上右:私も同じ。でも私と日本の関係はきっと深いと思うの。彼らのために役に立ちたいから今日来たのよ。
アレハンドロ(写真下):私個人の問題は、自分自身の頭の中で問題を作り出していたことなんだ。物ごとへのとらえ方、考え方、そこに問題があったんだ。特に若い時にね。
【答え②】ジョランダ:私は人生の分岐点に日本にいた。例えば兄の死。彼のお葬式の時私は日本にいたのよ。自分が乗り越えた、というよりも、日本が乗り越えさせてくれたの。日本には何か特別なものがある。人を落ち着かせる何か。もし他の国にいた時に兄の死を知ったのなら、私は乗り越えられなかったかもしれない。うまく言えないけど、あなた達が人種的に持っているものだと思うの。私は外国人だから外からの視点であなた達を見ているけど、だからこそかえって日本人のことをよく知っているということもあると思うのよ。
マヌエラ:私の人生は浮き沈みの連続だった。沈む度に日本へ行った。日本人の友達が私を助けてくれたの。日本は私にとって治癒するための場所だったの。日本人は自身の感情を受け入れ、他人の感情をも認めるという哲学を持っている。「死」に関してもそう。スペインで「死」のことを話すのはタブーなの。みんな「死」を隠してふたをしてしまう。日本は違うわ。1年に1回、死者の魂が戻って来て、生きている者と一緒に過ごすでしょう?その風習を私は日本で見たわ。威厳を持って「死」を受け入れることができる。だから落ち着きと希望を掴むことができるのだと思うわ。
アレハンドロ:私の答えは個人的なものだから役に立つか分からないよ。
ジョランダ:アレハンドロ、自分ではそう思うかもしれないけど、もしかしたらあなたの答えが誰かのヒントになるかもしれないわよ。インタビューを読む人はいっぱいいるだろうし、人それぞれ状況や心境によって捉え方が違うだろうから。
アレハンドロそうか。自分と闘うこと。自分の人生の中で出会う相手を観察すること。他人は自分を映す鏡だから。他人から学ぶんだよ。でもこれは本当に、私個人のことだから、日本の状況に重ねることはできないと思うけど・・・。
【メッセージ】マヌエラ:決して忘れないで。過去も経験も。現在の愛情も。未来の希望も。あなた達への愛情を。マヌエラ
ジョランダ:あなた達は一人ではない!GANBATENE!!!!
アレハンドロ:今週土曜日にセビージャで行われる震災チャリティー公演で踊るよ。
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上記チャリティー公演にも3月30日アラメダ劇場、4月2日コレヒオ・メディコと、セビージャ各地でチャリティー公演が行われます。今週土曜日の公演(上チラシ)では私は裏方のお手伝い、30日と2日の公演では企画協力・出演します。セビージャに住む日本人達がいてもたってもいられない、何かしなければ、という気持ちがそれぞれ起こり、チャリティー3公演となりました。それ以外にもいろいろな所で募金活動などが行われているようです。セビージャ在住日本人とフラメンコ・アーティスト達が集結し始めています。全ては日本のために。
2011年3月25日  セビージャにて。
Mar 24
¨SOMOS JAPON¨⑦ フアン・ポルビージョ
La Yunko | Somos Japon | 03 24th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はフアン・ポルビージョへのインタビュー&彼からのメッセージです。

第7回 フアン・ポルビージョ

(フラメンコ舞踊家、「フアン・ポルビージョ・フラメンコスタジオ主宰」)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】叔母の死。私にとって叔母は母同様だった。いい時も悪い時もいつも自分を助けてくれたんだ。その叔母が9年前に亡くなった。私は何もする気がなくなった。他人との関わりを断ち、踊る気になんてもちろんならなかった。人生の一時期、完全に落ち込み、それが私の人生の分岐点となった。

【答え②】自分を救ってくれたのはフラメンコ。フラメンコは私にとって「自由」なんだ。そして自分が感じること。愛、それを失うこと、悲しみ、全ての感情を踊りで表現することで私は救われた。そして「POR ELLA」という舞台作品を創って叔母に捧げたんだ。家族の死にあっても、落ち込み続けていてはだめなんだ。闘わなければ。常に前に進むために。今でも叔母のことを思い出す。ある場所に行って「ああ、ここは叔母が好きな場所だったな」とか。そして自分が踊る前には必ず叔母のことを思うんだ。必ず。・・・・まだ私は乗り越えていないのかもしれない・・・

【答え③】学校を続けること。フラメンコを活性化させること。教授活動。自身のフラメンコ公演を行うこと。自分の恩師であるファルーコ、マティルデ・コラル、マノロ・マリンに捧げる公演をしたいんだ。

【写真の中メッセージ】前に進み続けるめのたくさんの元気と強さを。あなた達の国は素晴らしい。あなた達が素晴らしいように。たくさんの愛をこめて。 フアン・ポルビージョ フラメンコのキスを全ての人々へ。

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2011年3月24日 たくさんの方々からメールを頂いております。私もがんばります。 セビージャにて。

Mar 23
¨SOMOS JAPON¨⑥アデラ・カンパージョ
La Yunko | Somos Japon | 03 23rd, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はアデラ・カンパージョへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第6回 アデラ・カンパージョ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】すばらしいことがたくさんあったように、つらいこともたくさんあった。交通事故。その瞬間私の足は車の天井まで上がり、頭が肩に陥没した。私の弟が私の身体を伸ばした時に、首にものすごい熱さを感じた。熱さを。そして全身の震え。社会保障の医者(萩原註:無料で医者にかかることができるが、診療予約をとれるまで数ヶ月かかるなど、デメリットもある。)に行ったら、首の骨に問題があると言われたので首にギプスをしていたわ。最初は手先の感覚が少し弱くなったくらいだったの。それがどんどんひどくなり足も動かなくなった。レントゲンもとったし、精神科医にも通ったわ。それで5ヶ月過ぎた。でもある日階段が昇れなくなり、そして意識を失って倒れた。

そして一般の医者(萩原註:医療費は患者が全額負担だが、すぐに診療予約がとれるなどメリットがある)に行ったの。そしてその医者に言われた。「目を閉じて手を鼻につけて。」私の手は胸の位置にしか上がらなかった。「目を閉じたまま手を耳につけて」私は自分の耳がどこにあるのか分からなかった・・・。その時初めて脊髄に問題があることがわかったの。

その医者にかかってからは早かった。すぐに専門医のところに行き、 神経が集中している部分に3つの損傷があるのが分かった。だから手足にまで支障をきたしていたの。5ヶ月もの間ね。そしてその専門医に診てもらってから5日後に手術することになった。

でもその5日間が私の人生にとって最悪の日々となったの。なぜならその手術をすることにより全身付随になる可能性が80%だと医者に言われた。脊髄の5ヶ月間の圧迫を取り除く手術により、反作用で脊髄が完全に破壊される可能性が高い、そしてその場合は全身付随になると。それを聞いてから手術までの5日間私は言い続けた。「もし全身付随になるなら私を殺して!」「踊れなくなるなら殺して!」と。自分の母に一生下の世話をしてもらうなんて私にはできない。「私を殺して!」と。

5日後手術は行われた。その後40日間私は、あごから胸の高さまでのギプスをして全く動けなかった。母に身体をふいてもらい、ストローで食事をした。そしてそれからの4年間、私の踊りのレベルは下がった。ものすごく。コンパスは外す、回転はできない。多くの人が気づいていなかったかもしれないけど、自分には分かっていた。そしてそんな状態の身体でどう踊るべきか、見つけるまでに4年かかった。

つらかったのはそれだけではない。他人からの言葉。手術後いろいろな人から電話がかかってきた。私には容態を聞いた後で「アデラはもう踊れない」「彼女は終わった」と吹聴する人がたくさんいたのを私は知っている。そして誰も私に仕事の話しを持ってこなくなった・・・。

医者からは「2年間は踊るな」と言われたの。踊ったら保険会社からお金をもらえなくなるから。保険会社は最終的に500万ペセタしか私に支払わなかった。アントニオ・カナーレスとの舞台に出演した私の踊りのビデオを持ち出され、それで終わり。「ほら、もう踊っているじゃないか」って。そのお金で私は大きな大きな車を買った。もし自分が事故にあってもこれだけ大きな車なら私を守ってくれると思って。

これが私の身に起きた事。過不足なく話したわ。でも私に起こったことなんて、今の日本に比べたら何でもないわ。何でもない。

【答え②】私の母には全てを語ったの。他の家族にも話していないことすら。母が全てを知っている。だから私は自分の家族のために乗り越えた。そして踊ることへの意欲。毎日「明日がある、明日がある」と思って踊った。神を信じる事。私にとっての神様は「サンタ・アンへラ」なの。重要なのは身体じゃない。だって私の身体は思うように動かなかった。ここ(自分の頭を指さす)。どう考えるかで乗り越えることができた。

そして私を助けてくれたアーティスト仲間がいる。メルチェ・エスメラルダ。彼女との公演で、私は自分の出番の後、めまいで倒れ、吐いた。踊り終わったメルチェは着替えもせず私を介抱してくれたの。ハビエル・バロン、ファルーカ。いつも電話をかけてきてくれた。そして一番はアントニオ・カナーレス。アーティストとして彼は私を助けてくれたの。彼との公演でカナーレスは「3分しか踊れないならそれでもいい。その日全く踊れないなら、ただ舞台に立てばいい。」そう言って私を彼の舞台に出演させてくれたのよ。

【答え③】今現在を生きる、ということを私は学んだ。今を生きるだけ。闘い続けること。息子を育てること。よい母になること。踊りは踊れるように踊るだけ。どんな公演をしようとか、そんなプロジェクトはない。プロジェクトのある人は私みたいな経験がない人よ。健康さえあればいい。そしてその健康は息子のため。息子が元気で将来家族を持ってくれることが私の夢なの。

【答え④】1秒で人生は変わる。過去は終わったこと。未来は不確か。今現在を十分に生きて健康でいること。落ちこんで泣いていては何も変わらない。どこかに到達することを考えること。探すのよ。悪いことは勝手にやってくるけど、よいことは探さなければならないから。

写真の中のメッセージ:「あなた達は私の心にいます」。このメッセージを書く前に、アデラはかなりの間悩んでいました。「私の人生から得たことを要約することはできないし『前に進め』なんて書けないわ。自分の子供が死んでしまった人に。私は自分が母親だから分かるのよ。子供に与えるミルクや水がない状況の人達になんて書いたらいいの・・・」

アデラが悩んでいる間に、私は今までに見た彼女の踊りを思い出していました。インタビューの中にあった、アントニオ・カナーレスとの舞台。容姿に恵まれたアデラの踊りは美しかった。でもなんだか精彩を欠いているな、と思った気がする。・・・そうか、そういうことだったのか・・・そして昨年のセビージャ・カハソル劇場での初のソロ公演のソレア。今思い出しても涙が出て来るほど素晴らしかった。多分私はあのソレアをずっと覚えているだろう。そしてついこの間のヘレス・フェスティバルでの公演。アデラの踊りはどんどんよくなっていると私は思う。以前と全然違う。そのことをアデラに話したら、「カハソルの時は調子が悪かったのよ」・・・・信じられない。あんな素晴らしいソレアを踊ったのに?「ヘレスの時はプレッシャーがあった。たくさんのアーティスト達の前で踊ったから」・・・・アデラでもそんなこと思うんだ・・・「でもね、一昨日のオランダでの公演のソレアが最高だった。私は今やっと、自分が完全復活しているのを感じる。踊りを通して語るべきことがたくさんあるのよ。」

そして最後にアデラは私に向かって言いました。「あなたはきっと苦しむ。このインタビューを続ける事によって。他人の苦しみを背負い込んで、それを伝えなくてはならないから。あなたが今苦しんでいるよりも、もっと苦しむわよ。でもあなただからこの企画を思いつくことができた。あなただからそれを実行することができた。続けなさい。そしてあなたは最終的に、たくさんのことを学ぶでしょう。今自分が思っている以上に。」

2011年3月23日 私のことまで気遣ってくれたアデラ。ありがとう。私は続けます。  セビージャにて。

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