Dec 30

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みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか?

半世紀以上にわたり、美術・音楽・演劇・舞踏・朗読・映像等各領域をこえた表現活動の場となっていた、東京・明大前の「キッド・アイラック・アート・ホール」が明日、2016年12月31日をもって閉業されることになりました。

キッド・アイラック・アート・ホールのブログ→http://blog.livedoor.jp/kidailack/archives/1905603.html

la-foto-300x2232014年、2015年、2016年と3年連続「アントニオ・ペレス来日写真展」と同時開催フラメンコライブの開催会場として大変お世話になった会場でもあります。そのお別れを告げに、そしてホールで働いていらっしゃる早川誠司さん、工藤大輔さんに改めてこれまでのお礼とご挨拶をするために、昨日同ホールに伺いました。昨日開催されていたダンス公演は奇しくも私が同ホールで初めて拝見した公演と同じ、橋本拓也さんの公演でした。

2013年に第1回目のアントニオ・ペレス来日写真展と同時開催フラメンコライブをスペイン舞踊振興MARUWA財団さん2階にて開催した後、探しに探してやっと見つけた会場が「キッド・アイラック・アート・ホール」さんでした。都内で写真展とフラメンコライブが同時に開催できる場所。あるようでないのです、これが。写真展はできるけどフラメンコはダメ(室内楽や演劇はOKでも)というギャラリーがほとんどで、今度はフラメンコ中心に考えると写真展スペースがなかったり・・・インターネットで必死に探しまくり、やっと見つけたこの「キッド・アイラック・アート・ホール」さん。帰国時に実際に見学させて頂き、入った瞬間にここだ!と確信しました。ここならアントニオの写真を展示するのに十分な格式がある。そして客席数は少ないけれど、密なフラメンコ空間を作れるにちがいない。あの時の胸の高揚を今でも覚えています。

第2回写真展ライブフライヤー表
第2回写真展ライブフライヤー裏

2014年は3〜4階のギャラリーで写真展「写真が語るとき・・・記憶とフラメンコ」、5階にて「アントニオ・ペレスの仲間たちフラメンコライブ」の開催。2015年は同じく3〜4階のギャラリーで写真展「Nuevas postales, nuevos viajes」、1階ホールにてソロ公演「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」の開催。今年は同ギャラリーで「Zoo 動物園」、1階ホールにてたくさんの踊り手さん、ギタリスト、歌い手さん達によるご協力のもと、フラメンコライブを開催しました。本当はもっともっと続けたかったのに・・・・、キッド・アイラックさんでのこの「写真展&フラメンコライブ」シリーズ・・・・。

「キッド・アイラック・アート・ホール」さんには「何か」がありました。いつもアントニオと私の「何か」を惹きつけてやまない「何か」・・・・たくさんのジャンルを超えるアーティスト達が歴史を重ねてきた、その長い年月と芸術への愛情の深さがきっとその「何か」を醸造させていたのでしょう。そんな素晴らしい場所で、たった3回ではありますが、写真展とフラメンコライブ(そして自身のソロ公演)を開催させて頂けたことを心から光栄に思います。本当にありがとうございました。

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特に昨年のフラメンコ・ソロ公演「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」は「キッド・アイラック・アート・ホール」でだからこそ湧いてきたインスピレーションを元に創り上げたものです。逆に言えば、「キッド・アイラック・アートホール」でなかったらあの公演は生まれなかった。それは間違いありません。

「ZOO 動物園」フライヤー表2016年写真展ライブフライヤー表
そして、その際にスタッフの早川さんから言われた「鏡があるんですけど」の一言で、翌年の(つまり今年の)公演イメージを頭の中で構築することができました。鏡といえば・・・・アントニオの写真プロジェクト「ZOO 動物園」。それを次回の写真展にしよう。その中での鏡の意味、役割をフラメンコでも同じように使おう。ソロ公演ではなくたくさんの共演の皆様にご協力頂くライブとなりましたが、それでも毎年少しずつ色々な「実験」を試みていました。そして次は何をやろう?来年は?再来年は?・・・ってワクワクしていたのに・・・

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早川さん(写真左)と工藤さん(写真右)。このお二人に大変感謝しています。感謝しても感謝しきれないくらい。「キッド・アイラック・アート・ホール」ってただの素晴らしい「箱」じゃないんです。このお二人がいて下さったからこその「キッド・アイラック・アート・ホール」なんだと思うのです。「箱」としてただ素晴らしい場所は他にもあるかもしれない。でも「キッド・アイラック・アートホール」には生命が吹き込まれていました。血が通っていました。このお二人の鼓動がそのまま「キッド・アイラック・アートホール」に息づいているように私には思えました。「箱」だけじゃない、それを支える「人」、その「人」に支えられたアーティストと呼ばれる「人」、その「人」達から今度はお客様という別の「人」に生命が吹き込まれ、その「箱」はただの「箱」でなくなる。そんな場所でした。

いろいろなことをを考えながら、昨日のダンス公演を拝見してしまったので、公演自体には集中できなかったかもしれない・・・でもあの場所にまたお伺いすることができて本当に良かった。終演後、上のギャラリーに上がったら早川さんがいらっしゃいました。早川さんのお顔を拝見したら泣きそうになったので、簡単にご挨拶を済ませサササーと姿をくらます。もうここには戻ってこれないんだなあと思いながら、アントニオの写真展を思い出しつつ名残惜しくも階下へ。エレベーターを降りたら工藤さんがいらっしゃって、本当に涙が出てしまった。いろいろお話したかったのですが、涙声で何を言っているか自分でも分からなくなってしまったので、お礼だけお伝えして帰ろうと思ったら、そしたら上にいらっしゃったはずの早川さんが下に。「萩原さん」と不意に声をかけられ号泣寸前。ダメだこりゃ、と同じくこれまでのお礼だけお伝えしてお別れしました。(握手して下さった早川さんの手はとても温かかった。)

なんでこう泣いちゃうのかなー、もうジャスフォー(ジャスト・フォーティー40歳)なのに。いや、40だから涙もろくなるのか。今も泣きそう。泣いても仕方がないんだが・・・・別れ際に早川さんが笑顔でおっしゃった言葉。

「また来年」。

そうかもしれない、「また来年」どこかでお会いできるのかもしれない・・・・そう思って昨日は寝ました。

「キッド・アイラック・アートホール」さん、早川さん、工藤さん、本当にどうもありがとうございました。

またどこかでお会いできることを楽しみに、前を向いて精進して行きたいと思います。

2016年12月30日

Dec 27

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昨日のアルハムブラさんでのライブはお陰様で大盛況のうちに幕を閉じました。大入り満員のお客様、年末のお忙しい中お越し頂き誠にありがとうございました!共演のエミリオ・マジャ、ロシオ・ラ・ボテリータ、浅見純子さん、荻野リサさん、そして今回のライブの企画をしてくれた松彩果さん、会場となりましたアルハムブラ西日暮里店の皆様、誠にありがとうございました!

今回は1部にティエント、2部にマントンでのアレグリアスを踊りました。日本でティエントを踊るのは一昨年の夏以来かな?ティエントの部分もタンゴの部分もほぼ即興になったような気がしますが・・・あまり記憶がないです・・・でも自由に踊らせて頂いた記憶はあります。それはとても幸せなことですね。マントンでのアレグリアスは天井から吊り下げられた照明器具に引っかからないかちょっと心配しましたが、(試しに練習した時にまんまと引っかかりました。笑)本番も実は、あ!と思った瞬間がありましたが、なんとか無事に踊り終えてよかったです。というのも、日程的にお客様のほとんどが2016年フラメンコライブの見納めということで、その私のアレグリアスが2部最後の曲だったので、ここでコケたらみなさんの丸一年分のフラメンコに泥を塗ることになるんじゃないか・・・と、とにかく緊張。でも共演者の皆さんに大いに盛り上げて頂き助けられました。ありがとうございました!

エミリオも乗ってましたね。時々いろいろなリズムやファルセータ(メロディ)を入れてきて聞いていて楽しかったです。私はパルマを叩きながらニヤッと笑ったり、oleと出たり。マラガの歌い手のロシオの声は久しぶりに聞く甘さと伸びの良さ。ソロで歌ったグアヒーラも素敵でしたが、タラントがよかったなー。隣で思わずロシオの横顔に至近距離でoleを言ったり、涙も出そうになったり。あー、このタラントで踊れたらよかったなー、と心から思いました。共演の松彩果さん、荻野リサさん、浅見純子さんもみなさんとても素敵でした。後ろでパルマを叩くのも楽しかったですが、もう一人の自分が幽体離脱して同時に客席でそのライブを楽しめたらよかったのに、と本気で思ったり。(笑)昨晩のお客様はラッキーでしたね!早々に満席になってしまったそうなのでいらっしゃれなかった方には本当に申し訳ないですが・・・。

嬉しかったのは、終演後にエミリオから「そう、アレグリアスというのは、そういう風に踊るものなんだよ」と言われたこと。やっぱりフラメンコのルーツを知っている人にはちゃんと伝わるのだな、と。私はアレグリアスを踊るの時によくバタ・デ・コーラやマントンを使うので、たくさんの方がバタやマントンのご感想をおっしゃって下さいますが、もちろんそれはとても嬉しいのですが、私の中にはバタだろうがマントンだろうが、それがあろうがなかろうが、アレグリアスを踊る、フラメンコを踊る、という「核」があります。マントンやバタにもコンパスが宿っている。アルテがある。なぜならその踊り手が生命を吹き込んでいるから。そしてたとえバタやマントンを持たなくても、その踊り手自身がフラメンコだということ。そしてアレグリアスを踊るなら、それはアレグリアスである必要がある。12拍子のリズムに自分の好きな動きや音を入れて、あとはアレグリアスを弾いてもらって、歌ってもらえばいいってもんじゃない。何をもってアレグリアスと呼ぶのか?何をもってフラメンコと呼ぶのか?その根本の所がなければ、たとえバタでもマントンでもどんなに上手に扱えたとしても、それはアレグリアスでもフラメンコでも何でもない。少なくとも私にはアレグリアスにもフラメンコにも見えない。強いて言えば・・・見栄えのする踊り・・・というより、サーカス?・・・これもできるよ!あれもできるよ!これも持ってるよ!あれも持ってるよ!見てみてみて!!!というオンパレード・・・。

このライブが今年の踊り納めとなりました。でもいつでも求めていることとやっていることは一緒なんです。だから「宿題」は来年に持ち越しですね。笑 そうやって毎年毎年宿題を片付けて、フラメンコってどんどん宿題が増えていくのだけど、時として一緒に考えてくれたり、ヒントを与えてくれたり、私が宿題できるように陰で支えてくれたり、その途中経過を褒めてくれたりする人たちが周りにいるというのは、とてもありがたいことなんだなと思います。

最後になってしまったけどこれも書く必要があります。2部の最初にロシオのカンテソロがあり、ギターと椅子が舞台中央に並べられていて、そのカンテソロが終わって暗転になったので、じゃ、踊りの出番だって思って私はさささと舞台に上がって他の踊り手さん達もついてきてしまったのだけど、照明の飴谷さんが暗転の中、椅子を直して下さいました。また引っ込むのもなんなので、暗転だしって思ってそのまま舞台の上で皆待っていたのだけど、そうだよなーこういうことも飴谷さんがやって下さっているんだよなー、私はそういうこともよく考えずに自分が踊ることとばかり考えて出てきてしまったけど・・・、って恥ずかしかったです。私が会場入りした時にはすでに音響や舞台のチェックを黙々とこなしていた彼の後姿を思い出しました。それから舞台の上で、自分の気持ちがすーっと落ち着いてこれから、さあ次の所!と思った時に、全く同じタイミングですーっと照明が変わっていったのも。

そしてこのブログに掲載した写真を撮って下さったのは、川尻敏晴さん。ライブのすぐ次の日の朝に送って下さり、そして「踊りの写真はもう少し待って下さいね」というメッセージまでも。なんという気配りでしょう。本当にありがとうございます。自分の夫が写真家なので、写真を準備するというのは大変な労力だということを私は知っています。撮られている方は「送ってー」って簡単に言うけど、写真を撮るって、シャッターを押すことだけではないのよ、撮った後も大変なのよ。そんなことを思いながら、写真を頂くのが当たり前だと思っちゃいけないと自分に言い聞かせました。

きっともっともっとたくさんの方に感謝しなくてはいけないのだと思います。

その気持ちを踊りに変えて、たくさんの人たちに還元できる人間になりたいです。

2016年12月26日

Dec 26

12/26ライブ出演者写真みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

本日12/26(月)、西日暮里にあるタブラオ、アルハムブラさんに出演します!お陰様で早々に満席になったとのことです。ご予約くださいました皆様、誠にありがとうございました!

今日が「踊り納め」になるのですが、私、納められるのかしら・・・ドキドキ緊張・・・。とはいえ、素晴らしい共演者との待ち望んでいたライブです。きっと楽しめるんじゃないなかな、という期待も・・・・。さてさてどうなるのでしょうか?

久しぶりのティエントとアレグリアスconマントンを踊ります。

場所:  タブラオ・アルハムブラ(西日暮里)

開演:  1部19:15/2部20:45

ギター: エミリオ・マジャ

カンテ: ロシオ・ラ・ボテリータ

バイレ: 浅見純子、荻野リサ、松彩果、萩原淳子

ではまたお会いしましょう!

2016年12月26日

Dec 25

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私はフツーに過ごしております。(笑)昨日のイブは東京でのクルシージョ、本日25日はお休みでしたが明日アルハムブラさんでのライブに出演しますので練習したり、衣装をチェックしたり特に変わりはなく・・・それも何かなと思って昨日ケーキを買いましたが。そんなところでしょうか。

さて、帰国前日にレブリーハTVの番組「Chaslas al compás(チャルラス・アル・コンパス)」が主催するサンボンバの収録に今年も参加させて頂きました。サンボンバというのは簡単に言ってしまえば、クリスマス・ソングを歌うフィエスタ、宴会みたいなもの。歌詞はイエス・キリストの生誕にまつわるものです。サンボンバではこの歌がフラメンコのブレリアのリズムに乗って歌われ、踊られ、ヘレスのそれが有名。そしてレブリーハにもその土地に根付いたサンボンバがあります。

ちなみに昨年の収録の様子はパセオフラメンコさん12月号に写真が掲載されています。(アントニオ・ペレス撮影)フラメンコジャーナリストの志風恭子さんの解説によるサンボンバ特集で、素晴らしい記事となっています。ご興味のある方はバックナンバーで是非お読み下さいね。

パセオフラメンコさんHP→http://www.paseo-flamenco.com/monthly/backnumber.php

今年のサンボンバも1部がビジャンシーコ、2部がフィン・デ・フィエスタのブレリアとなっていて、私は2部に出演させて頂きました。テレビ収録とあって、1部のビジャンシーコの時には歌い手たちが何度もやり直し・・・昨年は滞りなく進んでいた記憶がありますが・・・多分一人がちょっと失敗したとか思ってやり直しを始めると、次の人も「じゃあ私も」と思ってやり直しが連鎖するのかなあ・・・1部の時は鑑賞席から拝見していましたが、周りの人たちはさすがにうんざりしてきた様子。私の隣に座っていたペーニャ会員のおじさまは「フラメンコは1回ポッキリだからフラメンコなんだよ」とズシっと一言。さすが愛好家のおっしゃることには重みあり。

そして1部が終了し、2部のフィン・デ・フィエスタ。1部の間に冷え切った身体・・・でもコートを着て出演するわけにもいかず、が、それは想定内の冷えだったので①ヒートテック ②貼るホッカイロ ③毛糸のパンツ の3種の神器(?)での出演。準備万端です!真冬の夜に戸外で行われるサンボンバに必要不可欠な焚き火の助けもあり、結局全然寒くなかった。あーよかった。フィン・デ・フィエスタでは上記パセオフラメンコさんの表紙にもなった「フェイート」のアルテ炸裂の一踊りで開幕。本当になんでもないことが、この人を通すとアルテになる。真のアルティスタです。コンチャ・バルガスの娘カルメン・バルガスもその存在感で他を圧倒。イサベル・ラ・マレーナの歌も素晴らしい。名前がわからないけど、本当に心にしみるブレリアを歌った人もいたなあ。あの時はみんなシンとして聴き入っていたなあ。老若男女問わず、歌い、弾き、踊る。レブリーハのアルテの層の厚さがうかがえます。若手の中心となっているのはフアニートくん。この人のコンパス、パルマ、踊りは本当に素晴らしい。

わー楽しいなーと思っていたら、気付いたら参加者でもあるテレビ司会者が後ろにいました。「次の歌い手が歌う時に、踊ってね」と。さすがテレビ番組です。フィエスタとはいえ段取りがあるという。(笑)本当は自分が踊りたいなって思った時に自然に出て行くのがフィエスタというのだと思うけど・・・。しかしこれはテレビ収録ですからそうも言えない。そして自分の気が乗ろうが乗るまいが、その瞬間にパッとスイッチが入らなくては、というより入れなくてはなりません。

さあ、出番です。担当の歌い手が歌い始めました。1つ目の歌をそのままパルマを叩きながら聞いています。すると前に座っていたベテラン女子が「これからアンタの番よ」と教えて下さいました。はい、了解です!と答えつつ、でもいきなりは踊らないよね、歌1つは聞きたいよね、と心の中で思う。1つ目の歌が終わり、さて2つ目から出るかと思っていたら、なんとその歌のレトラ(歌詞)が私が大・大・大嫌いなレトラだった!!!

そのレトラとは・・・

Y er Chino como era chino
no entendia na de letras
se monto en una carreta
se l’atasco en el camino
vaya Chino sin verguenza

chino(チノ)、直訳すると「中国人」という意味の言葉ですが、状況やニュアンスによっては東洋人全般への蔑称にも使われます。chinoというのは男性形で、中国人女性や東洋人女性はchina(チナ)となるのですが、この言葉はセビージャ留学当初、毎日のように浴びせられた言葉でした。今でこそ道端で侮蔑されることはほとんどないですが、なきにしもあらず。本当に嫌な言葉です。スペイン人からすると中国人も日本人も韓国人も見分けがつかないということで、全部まとめてchinoとかchinaとか呼ぶのでしょうが、大体それ自体が差別だと思うし。差別意識がなくそう呼んでいる人もいるのでしょうが、それもおかしいなと思うのです。知り合いの学校の先生が平気で言っているのを聞いたこともあります。指摘したら逆ギレされたり、意味がわからなくてポカーんとされたり・・・

話はちょっとそれましたが、歌詞の内容はざっと訳すと、

〝中国人(東洋人)はやっぱり中国人(東洋人)だから手紙の意味が分からなかったんだよ。だからカートに乗っちゃって道は渋滞。全く、これだから中国人は。(東洋人)この恥知らずが。〟

みたいな内容。(私はフラメンコ研究者じゃないですから違っているかもしれません。正式な訳をご存知の方は教えてください。)

あと、chinoという言葉は小石という意味もあります。だからその意味でも解釈できるのかもしれないけど・・・でも個人的な長年の経験からこのchinoという言葉にすごく敏感に反応してしまうのです。その言葉自体が嫌い。中国人が嫌いなのではないですよ。一部のアンダルシア人が差別意識から、もしくはそれを本人が意識していなかったとしても潜在的なそれから発せられる際のあの独特の音、その響きが嫌い。状況によってはそういう悪い意味で使われないというのは頭でわかっていても、それでも嫌なんです。

それから、上の訳では「手紙」と訳してみたけど、この原語は「letra」レトラ。つまりフラメンコの歌詞という意味でもあります。そう考えると「中国人(東洋人)はフラメンコの歌詞がわかってないんだよ」と歌っていることにも・・・。昔あるペーニャ公演に日本人留学生がお客さんとしてたくさん来た時(私もその中にいた)、歌い手がこのレトラで歌いました。私はぎょっとしちゃって、この人わざと歌っているんだろうか・・・と心が凍った記憶があります。ほとんどの日本人留学生は気づかなかったみたいですが、終演後セビージャに長年在住されてらっしゃる日本人女性が「あんなレトラを歌うなんて信じられない!!!」と激怒されていましたっけ・・・。

ちなみにこの歌詞は伝統的に歌い継がれているもののはずです。誰が作詞したのかは分かりませんが、恐らく作詞した人はそこまで考えていなかったのかもしれないし、歌っている本人もたまたまその歌詞が出ただけなのかもしれません。でも、私はこの歌詞が嫌いなんです・・・

話は長くなりましたが、というわけで、このレトラでは絶対に踊らん!!!意を決し、後ろでパルマを叩き続ける私に、先述のベテラン女子がまた「ほら、出番だよ!」と。・・・・そうなんですけど、このレトラでは踊りたくない!でもそんなことは言いたくないし言えないし。テコでも動かない私にベテラン女子はちょっとムッとしたご様子。でも絶対踊らない、このレトラでは・・・・・なんとかそのレトラが終わるのとそのベテラン女子の無言の圧力をやり過ごし、3つ目のレトラでようやく踊りました。任務完了でホッ。

それからしばらく歌や踊りが続き、幕開けをしたフェイートがやはり大トリでひと踊り。これがまた素晴らしいアルテ。そして皆を誘って今年のサンンボンバは終了!いろいろあったけど、いい歌も聴けてよかった!楽しかった!そもそもこんなレブリーハの方々の中に交えて頂けるだけでもありがたいです。みなさん本当にありがとうございました!!! また来年も呼んで頂けるといいなあ。

写真:アントニオ・ペレス

2016年12月25日

Dec 22
ラモン・アマドール
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 12 22nd, 2016| Comments Off

Captura de pantalla 2014-12-01 a la(s) 08.47.02みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

数日前に、セビージャのギタリスト、ラモン・アマドールがお亡くなりになったそうです・・・。

ラモン・アマドール、大好きなギタリストでした。まだセビージャに留学する前、もう15年以上も前になると思いますが、日本でビデオを観て大好きになりました。と言ってもその時はそのギタリストがラモン・アマドールだとは知らなかった。「アレグリアスの競演」というビデオの中で、エル・ミステラの伴奏をするそのギタリスト。あの伴奏を見て聞いて、うわーこんな素晴らしいギタリストがいるんだ!と。youtubeがなかった時代です。日本で発売されていたほんの少しのビデオだけがスペインへの架け橋でした。(ちなみに、このビデオは現在DVDで発売されているのかな?カルメリージャ・モントージャ、ミラグロス・メンヒバル、コンチャ・バルガス、ペパ・モンテスのアレグリアスも収録されていて圧巻です。観たことない方には是非見て欲しい。)

あの独特の弾き方。セビージャに行ってすぐに分かりました。ラモン・アマドール。そして、初めて行ったヘレスのフェスティバルでマティルデ・コラルのクルシージョを受けた時。いたのです、ラモン・アマドールが。クラス伴奏に。最近のヘレスのフェステイバルではクラス伴奏のギタリストや歌い手はヘレスの人になっていると思うけど、あの当時は違ったのかなあ、それともマティルデだけ特別にラモンを連れてきて下さったのかなあ。タンゴのクラスでした。マティルデが教えて下さる時は、見えやすいようにスタジオの中央、マティルデの斜め後ろに位置付いていましたが、ギター伴奏付きで踊る時には、スタジオ後ろを駆け抜け、ささささーっとスタジオの端に座っているラモンの横に(笑)。あの当時はマイクがなかったんですね、きっと。いちいち移動する私は不審人物だったと思うのですが、私は必死だった、マティルデから習うことと、ラモン・アマドールのギターをそばで聴くことと。そのうちマティルデもラモンの隣に座り、あとはマティルデの娘のロシオとその助手の方が振付の細かい解説をし始め、私はずっと彼らの隣に。至福の時間でした。身体の側面、彼らが座っている側からどんどんフラメンコを吸収できるような錯覚も覚えました。端っこで踊り続ける私にマティルデが「なぜ前で踊らないの?」質問しましたが、「ここじゃないとギターが聞こえないので・・・」と恐る恐る答えると「Oooooleeee mi niñaaaa!」と。ラモンもニコニコ、あの笑顔でした。

あの笑顔。

きっとラモンを知っている人ならあの笑顔も忘れられないでしょう。

もし私がギター練習生だったら、真っ先にラモンに習っていたな、きっと。

いつの日か、私がもっともっとフラメンカになった時、共演をお願いしたいと思っていたギタリストでした。

ラモン・アマドール。

ご冥福をお祈りします。

(写真:アントニオ・ペレス。2015年パセオ・フラメンコさん発行のカレンダーより。)

2016年12月22日

Dec 14

15219375_10154731240711228_6017308827497959664_n05121547_4dcb829f2a1dbみなさんこんにちは。お元気でお過ごしでしょうか?

ブログ更新が遅れていますが、日本に戻る前の12/1にセビージャで故エンリケ・モレンテのドキュメンタリー映画「OMEGA(オメガ)」を観ました。映画タイトルになっている「OMEGA(オメガ)」は故エンリケ・モレンテの生前のCDタイトルであり、そのCD作成にまつわるドキュメンタリーとなっています。このCDは1996年の作品で、巨匠とも言われた伝統的で純粋なエンリケ・モレンテのカンテ(フラメンコの歌)と、Lagartija Nick(ラガルティーハ・ニック)というバンドのロックの融合。しかも歌詞はフェデリコ・ガルシア・ロルカ。そしてロルカを崇めたレオナルド・コーエンの歌も歌っています。コンサート会場では熱狂的な歓声や嬌声と同じくらいの怒号も飛んでいたそうで、大変な物議を醸した作品でもあるそう。

映画は本当に面白かった。エンリケ・モレンテを始め「OMEGA」に携わったアーティストやいろいろな人達のインタビューや実際のリハーサルの映像、エンリケ・モレンテの構想メモなど、観れば観るほど、聞けば聞くほど面白い。ああ、そうやってあのCDはできたんだ、と。あの映画を観てまたCDを聴けばさらに面白いはず・・・。私がこのCDを買ったのは、発売されてから数年経った頃。買って、1曲目をかけて、なんだこりゃと思ってそれ以降ほとんど聴いていなかったけど・・・・改めてまた聞き直しています。

そういえば、初めてカンテを聴いた時もそうだった。15歳の時。なんだか地中からの叫び声のようなもの・・・それが歌であるとは到底思えずただ怖かった・・・それから全然フラメンコを聴こうとは思わなかったなあ・・・年月が経ってそれがJuan Talega(フアン・タレガ)のトナーであるということを知るまでは・・・。

スクリーンショット 2016-12-10 18.41.57この映画は日本で上映されるかなあ・・・。以前セビージャで観てこのブログで紹介した「Sacromonte(サクロモンテ)」は来年2/18(土)から日本で「サクロモンテの丘」というタイトルで公開されることになったけど・・・。あの時はとあるフラメンコ関係者の方から、日本での上映に向けて動きたいとのことでご連絡を頂き、映画について色々ご質問を受けたのでした。それが直接来年の上映につながったのかはよく分からないけれど、自分がいいと思ったものを発信することで何かが動き出したり、誰かにつながったりしていくのは本当に嬉しい。ちょっとでもフラメンコの役に立てればいいなあと思っています。

「OMEGA(オメガ)」の上映も祈りつつ・・・「サクロモンテの丘」は必ず観てくださいね!!!

公式HPはこちら→http://www.uplink.co.jp/sacromonte/

2017年12月14日

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