Sep 16

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャはまだまだ暑い日が続いておりますが、朝晩秋らしくなってきました。

前回のブログで結婚報告をさせて頂きました。たくさんの方からお祝いのメッセージを頂き誠にありがとうございます!フェイスブックを通してお祝いメッセージを下さった方も、皆様ありがとうございます!(写真は入籍日、タリファの戸籍登録所にて)

いくつかご質問を頂いたので、この場をお借りしてお答えさせて頂きます。アントニオ・ペレスと私はスペインにてスペインの方式にて婚姻届を提出、その後日本での入籍を完了させました。日本で入籍手続きを済ませて書類をスペインに送る方式はまた別になると思うのでその場合はよく分かりませんが、スペイン方式の結婚の場合、私の名字は原則的には変わりません。萩原淳子のままです。ただし、名字を夫のものに変更したい場合は入籍後6ヶ月後以内に届け出をすれば変更可能のようです。個人的には萩原淳子でいいので、というよりその方がいいので変更しません。子供の頃から「ハゲワラ〜」とからかわれていたので、結婚して早く名字変わらないかな〜と思っていましたが、そんな事を言われていたのは小学生くらいまで。さすがに中学生にもなると言われなくなりましたし、今では自分の名字も名前も自分にしっくり来ていますので、このままでよいでしょう。ちなみに子供ができた場合は、子供の名字は両親の名字をとり、「ペレス萩原」か「萩原ペレス」になります。夫の名字が先になるのか、妻の名字が先になるのかどちらでもよいみたいですが、どちらかが第一姓、もう一つが第二姓。ちなみにスペインでは多くの場合夫の名字が先になるみたいですよ。ちょっと子供は可哀想。プロレスラーみたいな名字になっちゃいますが、仕方ありません。

それと面接の件。偽装結婚を防ぐためらしいですが、面接があります。スペイン在住権を獲得したい移民、お金が必要なスペイン人が偽装結婚することもよくあるそうです。面接は個別に行われ、何を質問されるか分からなかったので緊張したのですが私が質問されたことは以下でした。

面接官:(私の申請書類に目を通して)「キミはフラメンコ踊るんだ〜。それにしても日本人のフラメンコ熱ってのはすごいね〜」

萩原:「・・・そうですね・・・」(これはもしかして私を油断させるワナかもしれない、と萩原警戒。)

面接官:「キミが踊るということは、夫になる人はギタリストだな!!!」

萩原:「いえ、写真家です・・・。」

面接官:「はい、じゃ、夫になる人を呼んで来て」

萩原:「面接終わりですか????」

面接官:「終わりだよ〜」

なんじゃ、こりゃ。という感じでした。

もし、スペイン人とスペイン方式での結婚を考えていらっしゃる方がいましたら、スペインにある日本大使館のHPをご覧になって下さい。↓

spain_seikatsu_konin.html

ただしHPに記載されている必要書類は届け出をする都市によって異なりますので、各都市の「registro civil」という所で直接確認した方がいいです。(セビージャでしたらviapolという建物の中にあります。)分からないことは大使館の方に直接お電話で、日本語でもお問い合わせできます。とても親切に教えて下さいます。私は大変お世話になりました。

・・・とこんな感じでしょうか。現在帰国前で、そして10月の日本でのソロ公演の準備でてんてこまいです。こちらで出演したライブ情報や、現在セビージャで開催されているフラメンコの祭典「ビエナル」に関してもブログにしたいのですが時間が全然ない・・・取り急ぎ、お祝いメールへのお礼とご質問へのお答えをさせて頂ければと思います。

  • 次回のセビージャライブ出演情報

 

2012.9.20// T de Triana(テ・デ・トゥリアーナ)- (Calle Betis,セビージャ)開演  22:00以降、入場無料

 

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エル・トゥリニ
  • エル・トゥデーラ

 

 

もしこちらにいらっしゃるようでしたら是非お越し下さいませ。トゥデーラもトゥリニも素晴らしいアーティストで、彼らとの共演楽しみです!!!

ではみなさんまたお会いしましょう!

2012年9月16日 セビージャにて。

Sep 10
ご報告
La Yunko | ブログ | 09 10th, 2012| Comments Off

 

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは少し涼しくなったのかな?と思いきや、また暑さがぶり返しています。1週間の夏休みからセビージャに戻ってきました。シチリア島に行ったのですが、半分新婚旅行のような感じでした。

実は6月29日に結婚しました。夫となった人は、このHPやパセオ・フラメンコ掲載の私の写真を撮ってくれていたカメラマン、アントニオ・ペレスです。(写真は入籍をした南スペイン、タリファの海岸にて)

数年前からおつき合いを始め、国際結婚ということで書類の準備に時間がかかったり面接があったりなどいろいろ手続きが煩雑でしたが、 スペイン側での婚姻は6月29日に成立しました。日本への婚姻届け提出はスペインにある日本大使館を通してお願いし、問題がなければ9月上旬に日本でも入籍完了ということでしたので、そろそろかなと思います。

特にお式や披露宴は行っていませんし、あまり周りの人にも知らせませんでした。(日本の家族にはもちろん知らせてありましたが)日本での入籍が完了してから公表しようと思っていましたので、セビージャにいる知人友人には話しのついでにご報告しましたが、日本の方にはほとんど知らせてありませんでした。ごめんなさい。

・・・そして今、いろいろと私達の結婚に関してブログにしようと試みたのですが、結局全部消してしまいました。

私達はお互いアーティストとして日々闘い、お互いがお互いの仕事に、芸術に、人生に一生懸命生きています。それは私達が出会う前からそれぞれ一人の人間としてやってきたこと。結婚後も同じことです。そして他人からは見えない部分、誤解されやすい部分をお互い理解し合ってきました。それは私達がそれぞれジャンルが違ってもアーティストであるということと、人として本質的な部分が同じだからだと思います。そのような相手が自分のそばにいるということはお互いを安心させ、力を与えてくれています。今スペインは経済危機で大変な状況になっていますが、私達は二人でそれを乗り越えていこうと思っています。

そんなことをシチリア島で改めて思い直しました。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。

2012年9月10日 ビエナルが始まったセビージャにて。

 

Aug 2

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あっという間に8月になってしまいました。コンチャのクラスも終わってしまい・・・今頃コンチャはクルシージョでアメリカを横断中とのこと。私はといえば、濃密な時間を残してくれたコンチャのお陰で暑いけどそんなのへっちゃらで練習しています。というよりそんなに暑くないような・・・先月はコンチャがセビージャの気温を上げていたのかもしれない・・・。

さて、先月最後の週のコンチャのクラスはこんなでした。↓

  • 7月24日(火)アレグリアスクラス

先週で夏期休暇が終わり帰国してしまった留学生が多い。アレグリアスクラスは初心者のニューヨークの人と私の二人だけ。一人欠席すると休講になってしまうらしい。休むわけにはいかない。しかもセミ・プライベートレッスンだよ。なんという贅沢。

クラスの後でニューヨークの彼女が私の個人レッスンを受けたいと言う。コンチャのクラスの内容を教えてほしいとのこと。「コンチャの個人レッスンは受けないの?」と聞いたらコンチャは私がいない時に、クラスの初心者の生徒達に「私のクラスの復習をしたい人はジュンコに習え」と言って下さったそうである。なんという光栄。

  • 7月25日(水)クラスの前で

その個人レッスンを行う。ニューヨークの彼女は私と同じくらいの年齢かと思っていたら、45歳だそうだ。子供が二人いらっしゃって、23歳と13歳。子供が大きくなったのでこれから第2の人生としてフラメンコをきちんと習うことにしたのだそう。何て素敵な人なんだろう!その生き方!私の方が人として教わったことが多いように思う。

  • 7月25日(水)アレグリアスクラス

アレグリアスの最後のブレリアで「これはミラグロス(・メンヒバル)の動きからとった」という振付を教えてくれた。私は以前ミラグロスに習っていた。ほんとだ!確かにミラグロスの動きだった!あの素晴らしいミラグロスの動きはミラグロスが踊るから素晴らしいと私は思っていた。でもコンチャ・バルガスを通したミラグロスの動きというのも素晴らしい!ミラグロスの動きを通したコンチャ・バルガスも素晴らしい!

コンチャはクラスの中でよく「これは◯◯の動き」と教えてくれる。コンチャ自身もたくさんのアーティストを見て学びとっている。誰が見てもはっきりその出自が分かる動きもあれば、言われてそう言えばあの人の動きだというものもある。でも全部コンチャの踊りになっている。その差なんだよな。他人の動きをとってただのコピーで終わる人と、自分のものにして自分の踊りになっちゃう人。

そして誰もが知っていることに、あまりにも知られ過ぎていて逆に目にとまらないことに焦点を当てられる人。そしてその焦点の対象とされた人。どちらもすごい。例えばコロッケと美川憲一。そしてコンチャとミラグロス・メンヒバル。

そんなミラグロス・メンヒバルのアルテに関してコンチャがグィートから聞いたという、こんな話をしてくれた。

「昔、グィートが若かった頃。彼はいつも楽屋を散らかし放題にしていた。服も靴も脱いだら脱ぎっぱなし。ある日、さあこれから本番という時にグィートが叫んだの。『オレのボタ(男性用フラメンコの靴)が片一方ない!!!!』もうあと数分で舞台に立たなくてはいけないという時に、なぜか片一方だけどうしても見つからない。彼は血相を変えて楽屋中を狂ったように探しまわった。周りのアーティスト達も。もう本当に今から舞台に出なくてはいけないというまさにその直前に、楽屋にいたミラグロス・メンヒバルが言った。『あんたのボタはここにあるよ』そして彼女は彼の目の前にそのボタを突きつけた。『ど、ど、ど、どこにあった?!』と聞くグィートにミラグロスはこう言った。『私が隠したのよ。』絶句するグィートにミラグロスは言う。『靴を脱いだらちゃんと揃えて自分の場所にしまいなさい。』

本物のアーティストは、踊らずにしてもアーティストなのだ。

そしてそれからというもの、グィートがきちんと靴をそろえるようになったのは言うまでもない・・・(コンチャ談)

  • 7月26日(木)ブレリアクラス

フラメンコを始めてたった2週間という日本人女性がクラスに入ってきた。コンチャは彼女に言う。「このクラスの内容は始めて2週間の人には難しいかもしれない。でも例えばマルカへとかをとってごらん。(その時コンチャはマルカへをする。アルテ!!!)何より重要なことは〝アイレ〟を感じること。」スペイン語がよく理解できない彼女に他の日本人生徒が訳してあげる。〝アイレ〟が上手く訳せないけど、彼女は理解したようだ。

ところで〝アイレ〟って。スペイン語〝aire〟直訳すると空気とか風とか。その人が持つ雰囲気、フラメンコの香る風、フラメンコをまとっていること・・・etc。私も上手く訳せない・・・。でも確実にそれを持っている人と持っていない人がいる。そしてそれは持とうと思って持てるものではない。フラメンコを学ぶ人は誰しもそれを持ちたいと思うのだけれど。

ちなみに彼女は昨日お友達とクラス見学していて、クラスの後に私に質問したのだ。「これがいいフラメンコなのかどうか分からないので、クラスに入った方がいいのかどうか・・・どうでしょうか?」私は即答した。「フラメンコを始めて2週間でコンチャ・バルガスに出会えるなんてラッキーです。絶対始めた方がいいです!」

・・・彼女に勧めた手前、ちょっと気になってクラス中に彼女の様子をうかがう。なんと、にこにこしてブレリアを踊っていた!すごい!彼女も、コンチャも!

  • 7月27日(金)ブレリアクラス

今日がコンチャ最後のクラスだ。クラスの中でコンチャが数名を指名して一人で踊らせる。指名されるのは初心者の人達だ。皆緊張して間違えたりコンパスを外すことが多い。でもコンチャは温かく見守って、楽しんでいる。実は私も初心者の人の踊りを見るのは好きだ。ものすごく勉強になる。

ちなみに上手な人の踊りを見るのも勉強にはなるが、人によってはただ上手く手足を動かしているだけで面白くない。どこかで見た事あるような踊り。どう動くか想像がつく。ひどい時にはその上手さがあざとく見えることもある。そういう時に私はなるべく見ないようにしている。見ているようで見ない。でも計らずして見てしまった時。そういうものはなかなか記憶から消えてくれない。自分の中に沈殿してしまう。そしてそういう機会が増えれば増えるほど今度は自分がそれに浸食されてしまう。自分の気付かないうちに。だから気をつけなければいけない。目も耳も心も全てそう。

話はそれたけど、初心者の人の踊りというのはそういう手あかにまみれた部分がない。中途半端な知識や偏見がない分、学んだことがストレートに出る。それが技術的に上手くなくても、ひょんな時にものすごいアルテに変貌する瞬間もある。本人は気付かないだろうけど。だから間違っていいのだ。「私はまだまだ」とか「できない」とか変な謙虚はしない方がいい。日本人同士だったら「そんなことないですよ」「いやいや・・・」「やってみては?」「・・・そうですか・・・ではできないと思いますが少しだけ・・・」なんてやりとりがあるのかもしれないけど、ここではそんなのない。本人が「できない」と言えば、それで終わり。本人ができないと言っているのだからできないと思われるのだ。

私も指名されて踊る。生徒の一人がカンテを歌ってくれる。コンチャがクラスでいつも歌うレブリーハのブレリアとは違う。当然踊りも変わる。コンチャの振付を使いながらも、そりゃ変わってくる。コンチャがこれまでのクラスの中で「これは私のものだから教えられない」と言った動きが瞬間的にひらめく。生徒の誰もクラスでできなかった動きだ。コンチャ自身もそれができる時とできない時がある。技術的に難しいからではなく、ある種のインスピレーションがわいた時にしかできない動き。それがわかなければ形だけ追ってもウソになる動き。その動きがひらめいた瞬間と同時に、コンチャの動きとは違ってしまった!と思ったけど、いいやそのままやっちゃえ〜と脳みその半分で思い、残りの半分で身体が動くまままかせたその瞬間。

踊り終わった後コンチャと、クラス見学をしていたコンチャの息子(クーロ)に言われたことは忘れられない。自分では何が起きたのかは分からないけど、起きたことは分かる。そしてその感覚がある時、フラメンコを愛する人達から確実にoleが出る。そしてその瞬間を彼らと共有できたことに感謝する。コンチャとクーロのその言葉は私の宝物だ。だからブログには載せません。ごめんなさいね。

いつだったかコンチャから「あんたはもっと前から私に習うべきだった。」と言われたことがある。皆に驚かれるけれど、セビージャに10年住んでいてコンチャに習ったのが今回が初めてだ。実は、以前に何度もコンチャに習おうと思ったことがあった。でも私の中の何かがそれを押しとどめて目を反らさせていた。それは今思うに、偏見。コンチャの踊りは素晴らしいけど、私の踊りのスタイルとは違う、そんなことを思ったり。私が以前踊っていた場所にコンチャがよく見に来ていて、その時のコンチャの私を見る目つきが怖くて、この人に習うのはこわいと思ったり。でも今考えると自分の踊りのスタイルなんて決めつける方がばかばかしいし、目つきが怖いと思ったのは、コンチャじゃなくて自分に問題があったのかもしれない。(そもそもコンチャはその当時の私のことを覚えてないのだろうから、自意識過剰もいいとこだ。)そういうもろもろのことが年月を経て、自分の中からはがれていった。なぜか分からないけど、ここ数年それをはっきりと感じる。だから今回コンチャに習えた。もちろんコンチャの言うようにもっと前に習うこともできたのだろうが、でも当時の私ではきっと学べるものも学べなかったのではないかと思う。だから時間がかかったけど、今の私でコンチャに学んだことを嬉しく思う。

そしてそれはコンチャだけではない。セビージャに10年住んで、やっと私は学べるスタートに立った。どんなに時間がかかっても、自分の足で立ち自分でつかんだことに価値がある。

これからだ、私は。

2012年8月2日  明日タリファに行きます。     今日のところはセビージャにて。

Jul 27
続々/コンチャ・バルガスのクラス
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 07 27th, 2012| Comments Off

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

まだ続きます。コンチャ・バルガスのクラス。学ぶことが多過ぎてブログにしないと忘れちゃうよ。でも一番深く学んだことはブログにできない・・・

  • 7月16日(月)

暑い。気温46度の中、20数名の生徒ぎっしり+熱いコンチャ。暑い。18時。セビージャの最も暑い時間帯。そしてスタジオの中には外に面した大きな窓ガラスから西日が・・・しかも冷房がきかない。サウナ状態。何人かが具合悪くなって座って見学。萩原も暑過ぎて意識朦朧。クラスの内容覚えていません。。。。唯一覚えているのは、クラスが終わる瞬間コンチャが叫んだ言葉「これ以上はもうムリ!!!!!」

  • 7月17日(火)ブレリアクラス

今日も暑いが、昨日の反省から今日は集中。ブレリアの最初のジャマーダはファルーコ(現在のファルキートの祖父)のものだと言う。コンチャがこんな話しをしてくれた。

「私はファルーコに習ったことはない。でも2年間、タブラオでファルーコを見ていた。当時のフィグーラはファルーコ、マティルデ・コラル、ラファエル・エル・ネグロ。私はマヌエラ・カラスコとローレと一緒に前座で踊っていた。自分の出番が終わると衣装を脱ぎ、すっ飛んで彼らの踊りを観に行った。毎日毎日。だから私はファルーコのレッスンを受けたことはなかったけど、ファルーコはたくさん教えてくれた。」

・・・『衣装を脱ぎ、すっ飛んで』という部分でところで、コンチャは実際にそういう動作をする。そして『観に行った』というところで、コンチャがかがんでひざに手をあて、ただでさえ大きな目をぎょろっと開く。・・・萩原は思う。この人はアーティストである。踊らなくてもその存在自体がアルテである。

その後、コンチャに「場所はどこだったのですか?」と私が聞くと、コンチャはさらなる話しをしてくれた。「ラ・コチェーラというタブラオ。メネンデス・ペラージョ通りにあった。そこでファルキートが死んだのよ。ファルキートってのは今のファルキートではなくて、ファルーコの息子、今のファルキートの父。彼もコチェーラで働いていた。普段はファルーコと車でブレーネから、ブレーネってのは彼らが当時住んでいた村だけど、そこから車でコチェーラまで来ていた。でもその日ファルキートは『おれはバイクで行く』と言ったそう。当時タブラオは21時頃始まった。でもその時間になってもファルキートは来ない。22時になっても、23時になっても。ファルーコは警察なんかに連絡せずに、自分の車で息子を探しに行った。そして見つけたのよ。道路で死んでいる自分の息子を。」

コンチャは「ミラミラ」と言って、鳥肌が立った自分の腕を生徒達に見せる。そして続ける。

「ファルーコはその後、深刻な鬱病になった。そして何年も踊らなかった。靴を売っていたのよ。生計をたてるために。」

・・・そのジャマーダを教える時に、コンチャは「飛べ!」と何度も強調する。「私はもう年だしひざが悪いから飛べないけど、あんた達は若いから飛べ!」と。今まで私はクラスの中で教わった通りにただ飛んでいた。でもそこにはコンチャがファルーコと生きてきた時間と歴史があったのだ。フラメンコの歴史。

昔トロンボに習った時もファルーコの〝飛び〟を習った。トロンボを通して。あの時トロンボは言っていた。「ファルーコは踊りの中でたった1回しか飛ばなかった。飛べばいいってもんじゃない。1回だけでいいんだ。でも本当に飛べ。」と。

  • 7月17日(火)カンティーニャスクラス

今週から新しい生徒達が入って来た。皆初心者だ。先週まで一緒に受けていたグラナダの踊り手はレッスン代がもう払えない、と来なくなってしまった。彼女がいなくなってしまったこともあり、他の生徒達と私のレベルが違いすぎる。コンチャは彼女達に合わせて、本当に辛抱強く懇切丁寧に教える。

コンチャは私に言う。「私がどう教えるか学べ。」そうなのだ。それは私が時々クラスでこっそりやっていることなのだ。どうしてコンチャに分かってしまったのだろう。つまり、私は自分が教える立場でもあるので、自分が習っている時にその先生がどのように教えるか、それぞれの生徒達のどこに問題点があるか、もし自分が教えるならどうするかという視点でクラスを受けることもある。自分が踊れるようになることと、それを教えることは全く違う。踊るための勉強が必要なのと同じくらい、教えるための勉強というのも必要なのだ。そしてコンチャ自身も毎回のクラスを通して、どう教えたら生徒がきちんと学べるかという点に真摯であるように思える。

そして初心者の生徒にコンチャは数を数える。この点に関しては私ははっきりとした答えを見つけていない。先生によっては動きを全て数で数えて教える先生と、逆に「数えるな」という先生がいる。私は自分が教える時には最初は数えずにリズムやコンパスから教える。パソを教える時には、足よりも先に口でリズムがとれているか確認する。そのために、目を閉じさせて音に集中させることまで徹底している。目を開けていると、音をとるよりも右とか左とか、プランタとかタコンとか視覚的なことに気が散ってしまうからだ。音を先にとってしまえば後は早い。その音にのっとって右とか左とか見ればよい。プランタ、タコン、ゴルペも音を聞けば、それが何なのか分かるはずだから。その上で数えるべき時は数える。・・・これが今までの私の教え方だったけど、コンチャのように一つ一つの動きを数える訓練も積もう。きっとそれは自分が教える時に役に立つはずだから。

でも・・・思う。コンチャにはまずコンパスがあって、それを数えて教える。動きに数をあてはめることを学んでいる。でも多くの生徒は逆だ。生徒にはコンパスがない。そこから数を数えられて教わる。すると生徒はいつコンパスを学ぶのだろう。コンパスが人生の中に、生活の中にない私達はいつコンパスを学ぶのだろう。それが外国人である私が学ぶ時の、教える時の重要なテーマだ。

  • 7月19日(木)ブレリアクラス

踊りの上手な外国人の生徒がコンチャに質問する。前に歩いて行ってジャマーダに入る部分。コンチャはかがんで歩け、と教えた。それに対してその生徒は「どうも上手くできないのでどうしたらよいか教えてほしい」と言う。コンチャに「やってみろ」と言われて彼女は一人でやってみた。確かになんだか変だ。普段の彼女は全体的に踊りはソツなく上手に踊っている。彼女の国では有名な踊り手なのだろうと容易に推測できるくらいの高い舞踊レベルである。でもその部分はなんだか変だ。(萩原、自分のことは棚に上げてます)コンチャは「歩幅をもっと小さくしろ」とか「もっとかがめ」とか教えるけれど、彼女がその通りにやってみればみるほどおかしい。「どうしたらいいの!できないのは私だけ?!みんなはできるわけ?!」と苛ついて教室全体を見渡す彼女にコンチャは言う。

「あんたの踊りにはサルサ(ソース)が足りない。フラメンコはガスパチョと同じ。オリーブオイルじゃなくて、あんんたの踊りにはひまわり油が入ってんのよ!」

・・・・強烈なお言葉。以降彼女は黙ってしまう・・・

・・・・萩原唸る。彼女に向けられた言葉は世の中100万人フラメンコを学んでいる人にもあてはまる。もちろん私にも。もしかするとあなたにも。

  • 7月19日(木)クラスの後で

お友達夫婦が、セビージャ郊外にある日本料理レストランに連れて行ってくれるというので、もちろんついていった。そこで私達が食べたもの。

①わかめとえびの酢の物

②まぐろのたたき

③野菜の天ぷら

④えびの天ぷら

⑤焼き餃子

⑥寿司

⑦刺身

⑧冷酒

⑨抹茶アイス

であった。「おいしい」という噂をかねがね耳にしていた通り、おいしかった。見た目もとんちんかんではない。セビージャ市内にある日本料理レストランとは格が違う感じ。

・・・でも・・・厳密に言うと日本食とは言えないような気がする。日本食と言うには何かが違う。何かが足りない。その点を上記のメニューそれぞれにおいて考察してみた。

①酢の味が微妙に違う。

②タレがない。

③天ぷらではなく厳密にはかき揚げ。しかも野菜が太切り。

④なぜか〝自家製トマトソース〟がついている。

⑤焦げ目がない。

⑥ にぎりを自分の皿にとろうとするとシャリが真っ二つに割れる。軍艦巻は高さがありすぎて食べづらい。無理に食べるとやはり崩壊。(しかも、「食べ方のお手本を見せて」と言われて彼らの前で食べた挙げ句の崩壊。)

⑦切り方が厚過ぎる。

⑧あまり冷えていない。

⑨アイス3玉は多過ぎだろう。しかも全部抹茶は飽きるよ。

・・・そう、でもこれは私が日本人だからの意見であって、スペイン人のお友達夫婦は「うまい、うまい」と食べていた。もちろんそんな事を言ってせっかくの食事に水を差すのもなんなので(しかも彼らの奢りだったので)私ももぐもぐ食べていた。実際おいしかったし。

つまり、こういうことだと思う。日本食を知らない人が日本食を研究してマネしたのがここのレストランの料理だと思う。コックは多分日本人ではない。でも日本人でないのに、よくぞここまで研究したなと萩原は個人的に褒めてあげたい。その研究が中途半端なまま料理にしちゃっているのが、その他大多数のセビージャ市内の日本食レストランでだと思う。だからそれに比べたら、ものすごい研究努力がうかがえる。それがお料理の見た目と味に現れている。スペイン人達が「おいしいおいしい」と噂する理由はここにある。

でも、厳密には日本食じゃないんだよ。それが、お料理としてではなく〝日本食として〟おいしくなるための、肝心な所が足りない。もしくは違っている。日本人以外の人からすればそれは本当にささいな事かもしれない。でもそれがズレていることで、お料理としてはおいしくても〝日本食として〟おいしくならない。

そう、コンチャがクラスで言ったことってそういうこと。フラメンコを知らない人が見れば、その踊りは上手でフラメンコっぽく見えるかもしれない。でもフラメンコを知っている人からすると、どんなに上手でフラメンコっぽく踊ってもフラメンコではない。踊りとしてはおいしくても、フラメンコの味がしない。フラメンコの味になるための決定的な何かが足りないか違っている。例えば、お料理にソースがないように。例えばガスパチョにひまわり油を入れてしまうように。

2012年7月 来週でコンチャのクラスが終わるセビージャにて。

Jul 13
続/コンチャ・バルガスのクラス
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 07 13th, 2012| Comments Off

今月もコンチャ・バルガスのクラスを受講する。ブレリアとカンティーニャス。

  • 7月3日(火)ブレリアクラス

先月から引き続き受講しているのは私を含め3人くらい。その他10数名は今月から。コンチャは先月とほぼ同じ振付のブレリアを教える。なんだ、また同じ振付か、と思う人はコンチャに習わない方がよい。あ、もうその振付知ってる、と思って受講するのもやめた方がよい。自分が知っていると思っているだけで知らないことだらけなのだ。フラメンコは。

コンチャがあるブレリアのパソの所でこんな説明をする。

「ここの部分は、私ならではの部分。コンチャの部分。だから数えることも教えることもできない。できるけどできない。30年教えてきて、ここ数年前からそういう部分を教えるようになったけど、まだ上手く教えられない。」

そう、それは左とか右とか、どの角度でか、とかそういう尺度でとれる振付なのではない。だからそういう質問をする方が本当は野暮というもの。フラメンコはその人自身がその人の人生の中で感じたこと、生きていることが瞬間的に現れるもの。その瞬間を説明しろ、というのは無理だから。

それを一番最初に私に教えて下さったのは、高橋英子さんだ。もう15年くらい前になるかな、英子さんのクルシージョで、あれは確かカーニャを習った。今ではもうカーニャの振付も何も覚えていないけれど、はっきり覚えていることが一つだけある。カーニャの最後のひっこみの部分で英子さんは、あの当時の私が見た事もないような動きをされた。(多分即興で)なんだろう!今の動き!分からないけど、きっと今のがフラメンコだ!と思った瞬間、私は即座に「すみません!今の動きを教えて下さい!」と叫んでいた。すると英子さんはしばしの沈黙の後こうおっしゃったのだ。

「教えたり教わったりするものじゃないのよね。私はこの動きを生活の中から学んだから。」

・・・・〝生活〟から学ぶ・・・・教えてもらえない、ということ・・・????????????

今なら分かる。でもその当時は意味が分からなくて、「なんで教えてくれないんだろう、こっちは一生懸命フラメンコを学びたくて英子さんに習っているのに。」と思ってしまった気がする。でもあの時の英子さんの言葉はずっと私の中に残っていて、その後数年経ってからやっと分かった。そして自分がセビージャに住むようになってもっと分かった。

英子さんは正しかった。そしてコンチャも正しい。

  • 7月3日(火)カンティーニャスクラス

ブレリアクラスが教室まんまんの人数だったのに対し、このクラスはたったの5人。パルマを習う。踊れる人も初心者も皆、パルマを習う。1時間ずっとパルマ。そのせいか、昨日来ていた人で来なくなってしまった人もいる。コンチャはパルマの重要性を説く。

「パルマをたたけなければ踊れない。パルマを学ぶことでどれだけ踊りを学ぶ助けになるか。昨日1時間パルマを学んだ。今日も1時間パルマ。でもその重要性を知る人は少ない。ブレリアのクラスはあんなに生徒がたくさんいたのにこのクラスの人数がこんなに少ないのがその証拠。」

その通りだと思う。そしてやっぱり叫ぶ(!)コンチャ。

「私が教えなければならないことを教えられずに、教えたくないことを教えなくてはならないのは、なんという苦しみ!!!!!なんという悲しみ!!!!!私が教えたいことを教えると、生徒はいなくなってしまう。皆足をぴょろぴょろ動かす踊りが好きだから、1時間座ってパルマなんてやってられないと思う。でも本当に重要なのはパルマなのに!私はペペ・リオスの舞踊学校で最初に毎日パルマを習わされた。6ヶ月間毎日パルマ!!!だからこそこのコンパスがある!!!」

そして続ける。

「皆新しい振付やパソを知りたがる。そんなにたくさん学んでも、一つとしてできていないくせに。そしてそんなことにお金を払いすぎる。学べていないのに払い続けている。悪いけど、特に、ヨーロッパの人はほとんどそう。もちろん私は彼らにパソや振付を教えることはできる。でも『そんなことでは決して学べない』と面と向かって言っている。でも日本人は違う。彼らは学び方を知っている。だからどんどん伸びる。そして 〝Imitan bien.〟( まねるのが上手い。)」

〝日本人が学び方を知っている〟、というのは人によると思うけど、それ以外は全く持って同感。

そして最後のコンチャの言葉。コンチャは〝Imitan bien〟(まねるのが上手い)と言った。その踊りは本物か、イミテーション(Imitación)か・・・

  • 7月4日(水)ブレリアクラス

コンチャの言葉。「私自身が〝Bulería romanzada(ブレリア・ロマンサーダ)〟の歴史である。私が死んだら、いつの日か『あのヒターナが bulería romanzada を踊った』と後世語り継がれるようになるだろう。」

・・・・全くもってその通りである。萩原、感服。

そして今日も叫ぶコンチャ。

「私はヒターナだ!!!私はコンチャ・バルガスだ!!!その私が教えたいように教えさせろ!!!」

一瞬シ〜ンとなった生徒達を前にコンチャはものすごい形相で、うなずきながら自分で拍手をし始める。それにつられて魔法からさめたように拍手をし始める生徒達。(私もですよ)よって、コンチャの好きなように教えるクラスの開始。そう、パルマから。

  • 7月4日(水)カンティーニャスクラス

コンチャがこんな話しをする。「もう21年くらい前になるけど、当時私は妊娠6〜7ヶ月でセビージャのビエナルでカンティーニャスを踊った。本当は踊るつもりはなかった。でもペドロ・バカンに『コンチャ、お願いだから踊って。妊娠している女性が踊ったっていいじゃないか。妊娠しているからこそ踊ってほしいんだ』そう説得されて踊った。とても太っていたの。だから肩から斜めに布をかけてお腹を隠した。赤い衣装だった。そしてこのカンティーニャスを踊った。ギターはペドロ、カンテはエンリケ・ソト。たくさんの人があの踊りを見て泣いた。そして今でも皆覚えている。あの赤い衣装のカンティーニャスを。」

コンチャがその話しをしながら、こう踊ったのよ、とブラッソを動かした。その瞬間、鳥肌が立ち、涙が出た。

  • 7月6日(金)カンティーニャスクラス

コンチャの言葉「私の踊りは何もやっていないようで、全てをやっている。」

  • 7月9日(月)ブレリアクラス欠席・・・

最近忙しい。この間はクラスにぎりぎり間に合うか?というところで自転車をすっ飛ばしてこいでいたら、おじいさんとニアミス。「ごめんなさい!!!!」と謝っておじいさんの顔をよく見たら、歌い手のパンセキートだった。あやうくパンセキートを自転車でひくところだったのか・・・反省。交通安全。

  • 7月10日(火)ブレリアクラス

コンチャの言葉「学び方を知らずに踊りを習ってどうするのか。」

  • 7月10日(火)クラスの後で

一緒にクラスを受講しているグラナダの踊り手〝N〟と、トゥリアーナの女の子〝E〟とピザを食べに行く。すると、そのレストランに、先日私が自転車でひきそうになったパンセキートとアウロラ・バルガス夫妻がやって来る。私達のすぐ隣のテーブルにつく。パンセキートは私のこと覚えているだろうか・・・とちょっと心配。アウロラ・バルガスはアーティストの後光がさしている。

NとEからすごい話を聞いてしまった。なんと、私がブレリアクラスを休んだ昨日、コンチャがクラスで激怒したそうだ。なんでもある生徒が「コンチャがちゃんと教えていない」と学校側に文句を言ったらしい。え〜!!!!驚く萩原。コンチャはきちんと教えているのに!!!しかしすぐに誰がそんな文句を言ったか大体の予測はついた。そしてその生徒は、私の予測通りの人だった。

踊りの上手な外国人の生徒がいた。いつも最前列、コンチャの横に陣取っている。踊りは上手いのだが、自分が上手いことを鼻にかけている。(というのがみえみえ)しかも感じが悪い。ある日、たまたまその人の後ろに位置づいてしまったことがあった。クラス中、その人のピアスが床に落ちていたのでそれを知らせたら、彼女は私を見もせずに、ピアスを拾い耳につけた。もちろん、ありがとうなんて言わない。ありがとうを言ってほしくて知らせたわけではないし、彼女の感じの悪さは分かっていたけど・・・・萩原、開いた口をふさぐのに苦労する。

ブレリアクラスには初心者からプロまで様々なレベルの人が集まっている。しかも7月はバカンスシーズンだから、1週間だけ、数日だけセビージャに来てクラスに途中から入る人もいる。全員が理解できるようにコンチャは最初から何度も繰り返し教えてくれる。しかし、踊りの上手なその〝無言ピアス拾い女〟はすぐにそこそこ振付をとってしまうから、何度も同じ事を教わるのが気に入らないのだろう。明らかに不服そうな態度をクラス中に表していたから。しかし踊りが上手いのは彼女だけではない。彼女よりもっと上手い上級者やプロだっている。でもみな何度でもコンチャに教わっている。振付けだけほしいなら他の先生に習えばいいのに。可哀想な人だと思うけど、先生に対する敬意を欠いているという点で許せない。

Nの言葉。「踊りが上手い(Bailar bien)ことと、フラメンコを踊る(Bailar flamneco)ということは違う。」

  • 7月12日(木)カンティーニャスクラス

最後のブレリアの一部を、「ジュンコ、一人でやってみろ」と言われる。やってみたら、「もう一度やってみろ」と言われる。言われるままにやってみたら、あの、ものすごい形相で、「あんたは私より上手く踊っている」と言われてしまった。そんなはずはない!!!!地球がひっくり返っても!!!!コンチャは言う。「私は腰でレマタールしているけど、あんたは上体でレマタールしている。あんたの方がいい。」・・・・いや、違う。コンチャは皆に教える時には、確かに腰でレマタールしているが、コンチャが一人で踊っている時には上体でレマタールしていた。私は後者をとっただけだ。でもせっかく褒められた(?)から、このレマーテは絶対に忘れない。私のものにしよう。

2012年7月13日(金) セビージャにて

Jun 28
コンチャ・バルガスのクラス
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 06 28th, 2012| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

今月はコンチャ・バルガスのクラスを受講していました。まだあと数日あるけれど、今日午後から数日間セビージャを離れなくてはならないので、昨日が私にとっては今月最後のクラスでした。それにしても、この暑い時に、熱いコンチャ。実はコンチャに習うのは初めて。コンチャから「あんた私のクラスを受けたことあるでしょう!あんたの顔には見覚えがある」と言われたけど、本当に初めてなんです。シギリージャとブレリアのクラスを受講しました。

  • 6月12日(火)シギリージャクラス

どこかで見たことある人がクラス見学をしている、と思ったらマカニータだった。9月のセビージャのビエナルでコンチャとマカニータはアンドレス・マリンの公演で共演するらしい。シギリージャのクラス中、急にコンチャがマカニータに向かって叫ぶ。「ティア!(女友達を呼ぶ時に使う言葉)あんたのブエルタ、あれはどうやってんの?ブレリアを歌いながらパルマをたたいて回る、あのブエルタよ。本当にすばらしい。舞台の上でやった時ときたら・・・」するとマカニータが「え〜このブエルタのこと?」と言い、軽く歌いながらくるくる回り始めた。生徒一同大喜び。その後「コーヒー飲んでくるわ〜♪」と表に出て行ったマカニータを尻目に、コンチャはものすごい形相で「あのブエルタを私もやりたいんだけど、できないのよ。ホラホラ。」と言い、試しに回り始めたコンチャ。・・・たしかに回れていない・・・「あのブエルタやりたいんだけどな」とコンチャはものすごく悔しそうに何度もつぶやいていました。

  • 6月13日(水)ブレリアクラス

コンチャが大変興味深い話をする。

「私は小さい頃コンパスなんて知らなかった。生まれながらにしてコンパスを持っているなんて大間違い。今もはっきり覚えている。私の父はアントニオ・マイレーナやフアン・タレガを自宅に呼んでよくフィエスタを開いた。4〜5歳の頃。その時アントニオ・マイレーナが私に小銭を握らせて言ったの。『これで飴でも買っておいで』つまり、パルマをたたくなってことよ!戻ってくるなとは言わなかった。でもそういうこと。私がパルマをたたくことでフィエスタが台無しになるからね。だから、『コンチャは生まれながらにしてコンパスを持っている』なんて大ウソよ!!!私にコンパスを教えてくれたのはペペ・リオ。それから私はグィートやマリオ・マジャと組んで彼らから学んだ。もちろん私の踊りは彼らの踊りのようではないけど。私は私の踊りだから。」

さらに続くコンチャの話。

「そして私の夫はバルを経営していて、そこにアーティスト達がたくさん集まった。私は彼らがどう踊るか見て学んだのよ。フラメンコは学校では学べない。学べるけど学べない。フラメンコを知っている人達と一緒に飲み明かすのよ。フラメンコを〝本当に〟知っている人とね。」

  • 6月13日(水)シギリージャクラス

マチョの部分の振付。なんと、あのマカニータのブエルタがマチョの振付に取り入れられた!コンチャは言う。「マカナ(マカニータのこと)はブレリアで回ったけど、私達はシギリージャで回るからね。これはマカナのブエルタだからね」そして回るコンチャ。昨日より少し回れている。でも舞踊的には厳密には回れていない。軸もずれているし視点も定まっていない。でもなんであんなにフラメンコなの?!そして、技術的には余裕しゃくしゃくで回れる私の、でも薄っぺら〜いフラメンコ。この差。歴然とした差。。。。

  • 6月14日(木)クラス欠席しました。 ファルキートの公演のために。クラスを受けてから汗だくでリュック背負ってロペ・デ・ベガ劇場まで自転車すっ飛ばして行くなんて、できない。できるけど、私にはできない。この日はコンチャには申し訳ないけどクラスをお休みして、ちゃんと時間に余裕を持ってguapaにして劇場に向かう。

やっぱりファルキートという踊り手は唯一なのだ。ファルキートに憧れてファルキートのマネをしている踊り手は世界に何十万人といるだろう。でも誰もファルキートにはなれない。ファルキートを観た事のない人にはウケるかもしれないけど、観た事ある人にはちゃんちゃらおかしいか、みじめで可哀想か。いっそのこと、ものマネ芸人みたいに、ものマネという角度からそのアルテを磨くのはどうか。〝コロッケ〟のフラメンコ版みたいな、ものマネアーティストが出て来たら、それはそれですごいんじゃないの???ただのものマネがアルテに昇華するんだから。そういう人達が集まった「ものマネ・フラメンコ選手権」の方がコンクールなんかよりずっと面白い気がする。(話が飛躍しすぎました)

  • 6月15日(金)ブレリアクラス

コンチャがブレリアのコンパスで「さくら〜さくら〜」と歌い出す。それを聞きながらブレリアを踊っていたら、コンチャが私のことを「彼女は日本人だから日本の桜を思い出して踊った。それをsentir(感じる)という。彼女は彼女のやり方で踊っているけどね。でもそれは大切なこと。私は皆にアイデアを与えることはできる。でも感じるのはその本人。大切なのは皆それぞれが自分自身を持っていること。」

クラスの中では黙っていたけれど、本当は「さくら〜さくら〜」しか聴き取れませんでした。コンチャが歌うと日本の歌でもフラメンコに聞こえちゃうんだよね。そのコンチャのフラメンコを感じて踊っていたんだよね。やっぱりこの人はフラメンコのかたまりなんだな、と。そして私は自分のやり方でわざと踊っていたのではなく、クラスで習った振付をちゃんと覚えていなかったんだよね・・・でもせっかく褒められたから黙っておくことにしました。とはいえ、なんだか良心がとがめるのでブログにて告白させて頂きました。。。。

そしてコンチャは皆に円陣を組ませ、ブレリアのコンパスについて説明し始めました。「ブレリアの1コンパスは12拍ある!!!アクセントは5つ!!!アクセントの場所は数で言うと、3・6・8・10・12。ブレリアの1コンパスは二つに分けることができ、前半は長い部分(12・1・2 / 3・4・5)後半は短い部分(6・7/8・9/10・11)!!!!分かったか!!!!」フラメンコを数年習ったことのある人なら皆知っている当たり前のことだと思うのだけれど、コンチャはこれをものすごい形相で、大声で叫びながら教えてゆく。この世の終わりを民衆に告げる予言者ように。そしてさらなる雄叫び。「フラメンコを20年学んでいてこんなことも知らない人がたくさんいる!!!!」

・・・・私は思いました。私は知っていたんだろうか?本当に?自分が知っていると思っていただけで、フラメンコから見たら、無知限りないんじゃないかって。

  • 6月26日(火)クラスの後で

コンチャのクラスって、自分が踊るよりコンチャをただ観ている方がいい気がする。自分の踊りなんてばかばかしく思えてきてしまう。は〜っとため息をついていたら、コンチャがやってきて「クラスに満足しているか?」とにかっと笑いながら私に聞く。もちろん満足しています、と言ったけど、ため息ついた所を見られてしまったので、正直に思ったことを言ったら、コンチャは言いました。「踊るのは誰にでもできる。誰にでも教えられる。でもあんたのここ(私の胸を指差す)にあるものを目覚めさせなくてはならないのよ。誰かが。それを取り出さなくてはならないのよ。」

私はコンチャのクラスを受けてもコンチャに食べられない自信はある。「食べられる」というのは、つまり自分自身を失ってコンチャのコピーに陥ること。ここは非常に難しいところで、その先生のクラスでその先生を見て踊るわけだから、見た目、その先生のように踊ってしまう(もしくはそう努力する)のは普通だ。なおかつ、その先生が大好きならその先生とそっくりに踊りたくなる。確かに学ぶということは模倣から始まる、らしい。でも重要なことは、絶対に誰にもコンチャにはなれない、ということ。どんなに上手くコンチャのように踊ったとしても、それはコンチャの〝よう〟 であって、コンチャではない。そして何より、その人ではない。つまり、コンチャの〝よう〟というのは、はっきり言えば〝エセ・コンチャ〟、もう少し柔らかく言えば〝なんちゃってコンチャ〟なのである。

クラスで先生の言う事を聞いてきちんと踊れると先生に褒められる。それは一つの学びで褒められるに値する。先生だって生徒が自分の教えの通り学んで伸びてくれて嬉しい。が、しかし、それはクラスの中だから。もしその人がそのまま先生のように踊り続けて、クラスの外で踊れば、「◯◯先生の生徒だ」としか見られない。その人に〝personalidad(ペルソナリダー)〟がなければ。〝personalidad〟というのは、その人自身、その人がその人であるためには欠かせない何か。それがなければ「◯◯先生の振付だ」とか「◯◯先生の踊り」になってしまう。つまり、その人自身が語られるのではなく、◯◯先生が語られる。そうすると何が起こるか。まず、その人には、クラスでは褒められていたのと逆の現象が起きてしまう。そして先生の側からすると、これはコンチャのことではなく、一般的な先生の話だけれど、自分のコピーが世の中に広まるということは、自分の生徒が自分を宣伝してくれていることになる。たとえ生徒に〝personalidad〟を持ってほしいと思っていて教えても、自分の広告塔になってくれる生徒が世界中に増えれば、最終的にその先生の名と踊りはその広告塔を通して世界に広まる。これは矛盾しているけど、完全に先生のビジネス。

何をどう教えるか、それは教える側の倫理観、フラメンコ観に基づく。いろいろな先生がいる。先生だって食べていかなくてはならないというのも現実だし、いろいろな教え方がある。誰が正しい・間違っている、でもなく、誰の方がよい・悪いの問題でもない。皆それぞれにおいて正しい。だから習う側は、自分とは何なのか、自分が踊るということはどういうことなのか、そのために自分が何を学ぶのか、それを学ぶためには誰に師事したらよいのかを自分で見つけなくてはならない。それは習う側の責任。〝personalidad〟の確立はそこから始まるように思う。

  • 6月27日(水)ブレリアクラス、シギリージャクラスともに

「カンテを聴け、歌え。踊るからにはカンテを知る義務がある。」

「私の踊りはソレア。踊りを一つ持て。4つもいらない。」

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6月28日 出発する前に、考えを整理したかった・・・・けど、まだまだ考えそう。 セビージャにて。

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