Apr 22

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で無事「第2回福岡クルシージョ」を終了することができました。受講して下さった皆様、誠にありがとうございました!

前回の福岡クルシージョもそうでしたが、今回も非常に楽しかったです。私は教えることが大好きで、それを仕事にできるというのは本当に幸せだと思います。素晴らしい生徒さん達にも恵まれ、これ以上のことはありません。

今回の「第2回福岡クルシージョ」で私が学んだことがあります。

①生徒さんの可能性を引き出すのは教える側の責任である

これは、「サパテアード原点」クラス内で学びました。東京や大阪でも開講しているこのクラス。クラスの名の通り、サパテアードの打ち方、姿勢、重心移動など“原点”から、毎回シギリージャのリズムを1コンパスずつ学び、東京では全5回で短めのエスコビージャが完成します。対象は初中級。今回の「第2回福岡クルシージョ」では受講生の半数がシギリージャのリズムを習ったことのない方ばかりでした。そんなこともあり最初は、内容が難しいかな・・・と心配したのですが、1時間15分のクラスの中で、“原点”から教えて行くうちに、みなさんどんどんサパテアードの音がよくなっていく。本当に驚きでした。後半、やはりリズムが難しいかな、と思いパソを簡単にしようか迷ったのですが、思い切って当初のパソを教えることに。やはり最初は皆さん戸惑ったようですが、パソではなくまずはリズムから入る私なりの教え方を実践してもらうと、少しずつ、でも確実に音の粒が揃ってゆく。驚きでした。

あの時に「多分無理だな」とこちらが勝手に判断しなくてよかった、と思いました。もしそうしていたら私は生徒さん達の可能性をつぶしていたのかもしれない。恐らく「難しい」と思われた方もいらっしゃったかもしれない。でも挑戦することでクリアできる部分もあるし、もしそのクラス時間内でできなくても、自分の頭で考え、自分の身体で試行錯誤する経験、それが大切、なぜならその経験なしに学ぶことは不可能だから。

②学ぶ時にはいつでも自分がゼロだと思わなくてはならない。

これは「コンパス重視のタンゴ」クラス内で学びました。このクラスも上記同様、東京や大阪でも開講しています。クラスの名の通り、振付やパソではなくコンパスそのものに焦点を当ててタンゴを学ぶというクラス。東京でも全5回でタンゴの歌振り1つが完成します。同じく対象は初中級。今回の「第2回福岡クルシージョ」の受講生のフラメンコ歴に幅があったように思えます。フラメンコ初心者に近い初級者と、長年続けていらっしゃる経験者。一見同じクラス内で学ぶのは難しそうですが、このクラスではフラメンコ歴というのは関係ありません。

でももし関係あるとすれば・・・経験のある人の方が学びにくい、という不思議な現象。なぜ?

それは、フラメンコ歴が長くなれば長くなる程、知識が増える。振付が増える。パソが増える。それは当たり前のことだしいい事だけれど、それに今度は縛られるようになる危険性もあるということ。そうすると新しいことを学ぶ時に、すんなり学べない。かえって初心者の方が知識や振付やパソを持たない分、教わっていることがすんなり頭にも身体にも入る。

昔、習っていたトロンボも言っていました。

「クラスに馬に乗ったまま乗り込む生徒と、きちんと馬から降りて馬を外につないでクラスに入ってくる生徒がいる。」

つまり、自分が学んだ知識を振りかざして「オレってうまいだろ」「私、これだけ知ってます」というのをぷんぷんさせてクラスを受ける生徒と、もしかすると前者よりももっと踊れるかもしれない、でもそれを外に置いてくる。クラスの中ではいつでも初心者のつもりで学ぶ、そういう謙虚な生徒もいる。そういうこと。本当にそうだな、と思います。いくらお金を払ってたくさんのクラスを受けても、前者であれば何も学べない。本人は学んだつもりかもしれないけれど。

重要なことは、今ある技術、経験、普段のお教室のクラスのレベルではない。自分がいかに学ぶか。そのためには何をしなければならないか。それはクラスを受ける前から始まっている。それはそもそもフラメンコを学ぶ姿勢にある。それはもっと言うとその人の人間性に関わってくるのではないでしょうか。

今回のクラス、初級の生徒さん達はそのまま学んで下さり、フラメンコ歴の長い生徒さん達はその“思い込み”や“縛り”がなくまっさらの状態で学んでいらっしゃいました。とてもいいクラスでした。ある生徒さんがクラス中に一言。

「酒が呑みたくなってきた」

????

そんな感想は初めて。なぜ???? なんでも、コンパスを他の生徒さんと共有していたら楽しくなってきて、酒が吞みたくなったそう。なるほどね。

他のクラスでも、よかったな〜。「マントン・テクニカ基礎」や「バタ・デ・コーラ・テクニカ基礎」のクラスでは前回からの継続受講生の成長が見られました。初めて挑戦してみた生徒さん達にも拍手!そして講義の「アレグリアス研究カンテ編」と同「バイレ編」。振付やパソだけでなく、ギターやカンテとの関係性ももっと学びたい!という熱心な生徒さん達がお集りになりました。

本当に素晴らしいクルシージョでした。たくさんの方からお喜びのご感想を頂きましたが、私の方こそ生徒さん達から学ばせて頂きました。皆様本当にありがとうございました。また福岡でお会いできることを楽しみにしています。

2013年4月23日 藤沢にて。

明日から5月3日まで東京クルシージョ。4月28・29日はつくば国際美学院さんにて、5月5・6日は「第2回大阪クルシージョ」です!がんばるぞー

Apr 21

ソレア・コン・バタ・デ・コーラ ソレア・コン・バタ・デ・コーラみなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

さて、前回のブログの続きです。

ミゲル・パソコン事件も解決し、明日本番。最後の練習です。この日は15:00から舞台監督さんだけいらっしゃるということで、午前中に作戦会議。昨日のリハーサルでは走りまくり、公演時間が全体たったの50分になってしまった・・・

ミゲルが言いました。「昨日は3人とも皆走り過ぎていた。もっと落ち着いていいんだ。それにしても、ジュンコのサパテアードのスピード、どうしたんだ?!」サパテアードのスピード?だから、昨日は走っちゃったんだって・・・、ミゲルは言う。「以前だったら、走っても『もうできない』って止まってたのに、昨日はあのスピードでも普通にサパテアードしていたぞ。」・・・うん、確かに。走ってたけど足は普通に動いていた。ミゲルは言いました。「サパテアードの技術が格段に上がってるよ。音もクリアになって以前よりずっといい。ジュンコ、相当練習したって言ってただろう?」

思い当たることがありました。1月中に受けたファルキートのレッスン。ファルキートのクラスは結構休みが多くてあまり受講できなかったけれど、数回受講しただけでも私の中にあの音は残った。全然違う音。誰とも違う音。フラメンコの音。それを心に留めて1人でもくもくと練習した2月、3月。もし私のサパテアードがよくなっているのだとすれば、それしかあり得ない。私はあえて中級クラスに入った。難しいパソをなんのセンティードもなくどかどか打っている上級クラスに入るのではなく、パソは簡単でいい。ただしそれをきちんとやる。きんとやるというのはファルキートのレベルできちんとやる。それが上級クラスのパソを学ぶよりどれ程難しいことか。

でも私が1人で練習していた時にずっと感じていたことは、ミゲルが言ったことと逆だった。自分のサパテアードの音がひどい、私はずっとそう感じて練習に励んでいた。多分、あのファルキートのクラスで、私の耳はファルキートの音に照準を合わせてしまったのだろう。だから自分のサパテアードの音がひどく聞こえるようになってしまったのだ。結果、自分ではひどいと思っていたけど、相対的に見た時にその音のレベルは上がっていたのだ。ファルキートと比べたら比べものにならないほどひどい。でも昔の自分のレベルはゆうに超えたのだと思う。知らず知らずのうちに。

耳は大切だ。耳そのものよりも「聴く力」。これがなければ踊れない。歌えない。弾けない。おいしいものを食べていれば舌が肥えるのと同様、いつもいいものを耳にしていなくてはならない。知らず知らずのうちに聞いているものに耳は慣れてゆく。よくも悪くも。

15:00。舞台監督さんがいらっしゃる時間になりました。ミゲル、モイ、私の3人は誰も何も言わなかったけれど、昨日のぼろぼろのエンサージョよりずっといいエンサージョにしてみせる、という意気込みがありました。お客さんはたった1人。舞台監督さんのみ。リハーサルが始まりました。ミゲルの伴奏から始まり、モイのカンテに続き、私はぞわぞわっとしたものを感じていました。恐ろしい、この二人。やはりただものではない。ものすごいシギリージャでした。どうしてモイは真っ昼間から、スタジオで、こんなに恐ろしいシギリージャを歌えるのか。

ミゲルのギターソロに続き、私のマントンのアレグリアス。そしてその後に事は起こりました。

モイのカンテソロ。マラゲーニャ。

私は涙が止まりませんでした。なんてフラメンコなのだろう。これを、明日、明後日お客様は客席から聴くのだ。これはとんでもない公演になる。

さらにソレア。私のバタ・デ・コーラのソレア。覚えていない。

そして最後のマルティネーテ。

タンゴ。

おしまい。

その日のリハーサルで計った公演時間は1時間20分でした。

それよりも、あのリハーサルはなんだったのだろう・・・。まるでそれはもう公演のようでした。

ミゲルが言いました。「この公演は絶対に成功だ。間違いない。」

モイもそれに頷いていました。

どうして、そんなことを断言できるのだろう。でも彼らがそう言うならそうなのかもしれない。

きっとそうに違いない。そうあってほしい。そうでなくては困る。きっとそうなのだろう。

いろいろな思いが私の中で渦を巻いていました。

4月5日、公演前日の夜でした。

写真:「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演ソレア/写真:松本青樹/衣装:ピリ・コルデーロ

2013年4月20日 小倉のホテルにて。

Apr 19

photoみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

前々回からのブログの続き。おもしろすぎ!と大好評です。

公演1ヶ月前。ばたばたと、

①2月28日 セビージャからマドリッドまで深夜バス移動(電車のチケット売り切れてた・・・)

①3月1日 マドリッドの日本大使館まで行ってミゲルとモイのビザをもらい、そのまま電車でヘレスへ移動。

②3月2日 へレス・フェスティバル併行追加アクティビティー公演でミゲル、モイと共演。

③3月3日〜6日 へレス・フェスティバルにてエバ・ジェルバブエナのクラスを受講。→セビージャへ移動

⑤3月7日 セビージャでライブ。(日本での公演1ヶ月前!)

⑥3月10日 セビージャから日本へ。

という日々を過ごしていました。私も忙しかったけど、ミゲルやモイも忙しい。3人で会う時間が全然とれなかった。

「セビージャで合わせてきたんでしょ〜?」とよく聞かれましたが、実際3人で公演用に合わせたのは1回だけ。ヘレスで踊った後、そのままヘレスのスタジオで合わせをしました。2時間半くらいだったかな。公演で踊るシギリージャ、ソレア、アレグリアス、タンゴをざっと合わせて、録音して、はい終わり。本番前も、彼らが日本に着いてから合わせたのは本番前々日と前日の2日間のみ。劇場公演で、この合わせの少なさでいいのか・・・と思ったけど、よかった。本番素晴らしかったですからね!

いや、ちょっと待て。大変だったのはミゲルとモイが日本に来てからの1日目のリハーサル。公演2日前。(彼らの飛行機珍道中も大変だったらしいけど、それはすでにブログにしているので、そちらを読んでね。→http://www.layunko-flamenco.com/JA/2013/04/miguel-perez-y-moi-de-moron-ya-estan-en-japon/)午後から照明や音響さんスタッフがいらっしゃるということで、午前中に慌てて3人で合わせ。しかもそのリハーサルには、ミゲルのお友達でもあり踊り手さんの水村繁子さんが見学にいらっしゃることに。水村さんはどうしてもご都合がつかず公演にいらっしゃれないのでリハーサルを見学されたいとのこと。そして踊り手仲間で公演当日の着替えお手伝いをしてくれる太田マキさんも見学にいらっしゃいました。

・・・萩原、当日はかなり緊張していました。3人の合わせもまだ不十分だったこともあり、リハーサルはぼろぼろ。しかも全部通してみて、舞台監督さんの一言。「公演時間全体で50分です」

え〜!!!そんなはずない。これだけ踊って、ギターとカンテもあって50分ってことはない!

ところがあったのです。実は緊張しすぎて走り過ぎ。全部早くなってしまっていたのでした・・・。

リハーサル後ミゲルとモイと3人で反省会。二人は言っていました。「ジュンコだけじゃないよ。オレたちもすごく走った。今日のリハーサルはなんか変な雰囲気だったんだ。それに飲まれた。でも落ちついてやれば大丈夫。明日は大丈夫。」

そうか、彼らでもそういうことがあるんだ・・・。でも、本番だって緊張すれば走るかもよ、と私が言うとモイは言ったのです。

「衣装を着て舞台に立てばそればありえない。舞台は全然別だ。」

そうなのだ、この人達の本当の強さは本番で想像のつかない底力を出すことなのだ。大丈夫。私にはこの人達がついている。明日もう一度気分を改めて合わせよう。そうすれば絶対大丈夫。

ところが帰り際、ミゲルが突然とんでもないことを私に言ってきたのです。

「昨日、ホテルの人にパソコン壊されたんだ。」

えええええええ!!!!どういうこと????!!!!!

ミゲルの話よると、電源アダプターをホテルの人が無理に外そうとしてボキッと折れたらしく、その一部がパソコンに入ったままで、パソコンが使えなくなってしまったとのこと。

それにしてもそんな不注意な人間がホテルで働いてちゃんと勤まるのか?ミゲルは嘘をつくような人ではないし、本人は「いいよいいよ、古いパソコンだから壊れても仕方ないよ」なんて言ってるけど。よくない。古かろうがパソコンはパソコンだし、ホテルの人が壊したのなら責任とってもらわないと。

萩原、鼻息荒くすぐさまホテルに電話。支配人と話をし、説明を受けたがどうもキナ臭い。何かがある。ミゲルが外国人だから分からないと思ってごまかしているのかも。いろいろ問いつめたところ、やっと罪を認めた。ほれみろ。ミゲルは悪くない。結局次の日ミゲルのパソコンを壊した従業員が謝罪するとのことで、萩原 ホテルに向かう。

ホテルに着くと、支配人とその従業員が直立不動で「萩原様、大変申し訳ございませんでした!!!」と頭を下げてきた・・・

「いや、私に謝られても、本人のパソコンが壊れたままでは困るのですが。」と、萩原、顔色一つ変えずに言うと、奥のロビーにいたミゲルが、ジュンコ、ちょっとと呼ぶ。

ミゲルが言う。「壊したのはホテルの人なんだけど、もういいよ、ジュンコ。実は昨晩、モイとオレでパソコンを分解して直したんだ。もう直ったんだ。」

何?この二人。ただのギタリストと歌い手ではないというのは知っていたが、そんな技術まで持っていたのか?!

「本当に直ったの?」と聞くと「うん、俺たちで直した。だからもういいよ。しかも俺のパソコン古いから」。と言ってミゲルはその直したパソコンを取り出したのですが・・・・、萩原、目が点。

それはパソコンというより、どう見てもアルバムにしか見えませんでした。

こんな分厚いパソコンが世の中にあるということを、一体この世の誰が想像できるのでしょうか・・・

そのアルバム、いや、パソコンを目にした途端、「こりゃ壊れてもおかしくはないわ」と萩原妙に納得。直立不動でこちらの様子を伺っている支配人と従業員に私は何と言えばいいのだろう。。。そんな私を尻目にミゲルは「このパソコン、オジさん」(古い、ということを伝えたかったらしい。)と片言の日本語でホテルの人に話しかけ、微妙な雰囲気がさらに微妙に・・・。

「どうも自分達で直したみたいです。気にしないで、と本人が言っていますので、今回はそういうことで。どうもお騒がせしました」とお辞儀をし、そそくさとその場を去ろうとする私に、いつの間にかその場にいたモイが「ジュンコ、ちょっと」と奥に呼び、小声でいいました。

「ミゲルは『オレたち』が直した、って言っただろ。『オレたち』じゃなくて、直したのは『オレ』だ。パソコンを解体したのは『オレ』、壊れた部品を取り除いたのは『オレ』。ミゲルはパソコンを押さえていただけだ」

もう、頼むよ、この二人。私を振り回すのはやめてくれ。分かっているのか、本番が明日だということを・・・。

(続く)

写真:ぼろぼろのリハーサルの後にしては笑顔。スタジオにて。太田マキさん撮影。

マキさん、公演のお手伝いをして頂き本当にありがとうございました!!!

4月19日(金)博多のホテルにて。

Apr 19

ゴボ天みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか?

明日、明後日「第2回福岡クルシージョ」を開講します。

先程博多に着き、お夕食に「ゴボ天」うどん(写真)を頂きました〜。前回の福岡クルシージョで生徒さん達に教えて頂いた「ゴボ天」。うまい!!!表面積約3分の2を占めているのがゴボウの天ぷら。そしてうどんとの相性!!!うまい!!!今日はゴボ天にエビ天と温泉たまごもトッピング、かやくご飯つきの定食にしました。うまい!!!ちょっと食べ過ぎかも、と思ったけれど、ま、いいか。クルシージョ前にエネルギー蓄えないとね。

さてさて、今回は20日(土)博多ビークラブさん、21日(日)小倉商工会館さんでの開講です。

開講クラスは

①サパテアード原点(20日10:40〜11:55/21日10:00〜11:15)

②コンパス重視のタンゴ(20日12:05〜13:20/21日11:25〜12:40)

③アレグリアス研究カンテ編(講義)(20日13:30〜14:30/21日12:50〜13:50)

④アレグリアス研究バイレ編(講義)(20日15:30〜16:30/21日14:50〜15:50)

⑤マントン・テクニカ基礎(20日16:40〜17:55/21日16:00〜17:15)

⑥バタ・デ・コーラ・テクニカ基礎(20日18:05〜19:20/21日17:25〜18:40)

と、東京クルシージョでも大人気のクラスばかりです。

前回クルシージョより定員を増やしましたので全クラスまだ空きはありますが、満席近くのクラスが多くなっています。ご希望の方は fukuokacursillo@gmail.com(担当ウラベ)までご連絡下さい。受講料は当日萩原まで直接お支払い頂けます。

その他詳細はこちらをクリックして下さい。→2013.4.FUKUOKA

九州各県の皆さんはもちろん、なんと京都や岡山の方までご参加されますよ〜。皆さんにお会いできるのを楽しみにしています!

2013年4月19日(金) 博多のホテルにて。

Apr 17

アレグリアス・コン・マントン アレグリアス・コン・マントン

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。今日はクラス休みなので、またブログを更新しちゃうぞ。朝のブログの続きです。

【注意! 今回のブログ、自分で笑ってしまいました。会社等でこっそり読んでいらっしゃる方、お気をつけ下さい。】

ミゲルとモイからの共演OKをもらえたけれど、今度は彼らの興行ビザをとらなくてはならない。これも初めての経験。前回の「魚の選び方を知った時」公演は新宿エルフラメンコさんが契約していたアーティストをお借りしたので、それは必要ありませんでした。その意味では手続きが本当に楽。スペイン人アーティストが共演者といっても、すでに他の団体が招聘しているアーティストを借りるのと自分で招聘するのは大違い。いろいろ調べたところ、興行ビザを個人でとるのは難しそう。(提出書類として招聘側の会社登記とかいろいろ必要みたいです)というわけでいくつかの団体に問い合せてみて、共通して紹介されたビザ取得代行会社にお願いすることに。昨年一時帰国していた際に代行会社の担当の方とお会いし、必要書類や準備の流れを教えて頂きました。

要は、

①代行会社側から指示されたアーティストの書類を準備する。(アーティスト経歴、写真、パスポートコピー、飛行機チケット情報、宿泊先情報など)

②上記書類を代行会社に郵送

③代行会社より、アーティスト契約書が送られてくる。

④アーティストに契約書をサインしてもらい、それを代行会社に送る。

⑤代行会社より興行ビザ許可書が送られてくる。

⑥⑤の許可書とアーティストのパスポート原本を持って、マドリッドの在スペイン日本大使館でビザを発行してもらう。

なんだ、簡単じゃん、というただこれだけの流れなのですが、結構大変だった・・・。まず①の段階で問題発生。ミゲルとモイに書類を連絡して、その次の日に全部揃えて提出してきたのはミゲル。全然連絡こないのがモイ。あ〜この二人の差。想像はしていたが・・・

二人は日本で私と仕事をしてくれると話してくれたけど、まだ口約束。契約書にサインしてもらうまでは安心できない。しかもモイとはずっと連絡がとれなかったのでかなり不安な毎日でした。

なんとか二人との約束をこぎつけて3人で会い、サインをしてもらい一安心。・・・と思ったけれど、まだモイの提出書類が揃っていなかった・・・・

足りなかったのはモイの経歴と背景白の証明顔写真。そんなの早く出せばいいじゃんと思うのですが、それが出さない。経歴出せ、と言っても「オレには経歴がない」とか言うし。ないわけないだろー、ミゲルなんて生まれた時からの経歴書をきちんと書面で提出してきたのに。もう仕方がないので、ネットでモイの経歴を探しました。ありました。英語で。それをビザ提出用にスペイン語と日本語に訳し、しかしその経歴はかなり古かったので・・・実は今だから言える真相ですが・・・・後半半分くらいは、萩原、自分で付け加えました。(もちろん私が知っている彼の最近の経歴をネットで調べて裏付け調査をしました。だから嘘でたらめではありません)それをモイに読ませ、これでいい?と聞いたら、「いいよ」というのでそれで決定。なんで私がこんなことしなきゃいけないんだ、と思いつつ、待っているくらいなら自分でやっちゃった方が早いからやってしまいましたよ。

MOISES 申請用写真1 MOISES 申請用写真2そして背景白の証明顔写真。そんなのそこら辺の写真屋さんで撮ればいいじゃんと思うのですが・・・・これも出さない。出さない以前にモイに電話してもなかなかつながらないですから話が進まない。経歴はネットで調べられても、モイのビザ用背景白の顔写真はネットではヒットしなかった・・・・歌っている顔写真を証明写真にはできないしねえ・・・

そこで萩原、何をしたか。苦肉の策で、公演プログラム用に撮ったミゲル・モイ・私の3人の写真(左)を夫(カメラマンです)に渡し、それを背景白顔写真に加工(写真右)してもらったのです。要はPhotoshopで3人の写真のモイの顔の輪郭部分だけ切り取って、その背景を白に上塗りするのですが、またまた問題発生・・・・。モイの頭、はげているようで実は写真を拡大すると波平さん(サザエさんの)の1本毛みたいのが無数に「ほにゃほにゃ」と生えていたのです!背景を白にするということは、その「ほにゃほにゃ」部分をそっくり切り取らないと背景白にならない。

プロのカメラマンの夫は不服そうでした。「ほにゃほにゃ」なので、その1本1本をその通りに切り取ることは不可能に近い。「ほにゃほにゃ」の部分を含めてカットすると「ほにゃほにゃ」の後ろの本来の写真の背景の色が入ってしまうので、背景白にはならない。仕方がないので、地肌のラインに全て合わせて「ほにゃほにゃ」部分全てカットすることに。夫は言いました。

「これはモイの真実の頭ではない。この写真は虚偽だ。」

夫はプロだ。だからそのような偽りの写真を許すことができない。それは私にも分かっている。モイにはもっと毛が生えている。でも今の私に必要なのは、写真の真実でも、ましてやモイの毛でもない。モイの背景白の写真なんだ!!!ほにゃ毛を含む彼の頭の“真実”を追求したら、背景白にならないんだよー!!!背景白にならなかったら写真をビザ代行会社に提出できない。写真を提出できないってことは、書類不備でモイが日本に来れないってことなんだよー!!!私の公演できなくなるじゃないかー!!! モイのほにゃ毛のせいで!!!

私の必死の説得に夫は渋々、モイの地肌に合わせ、ほにゃ毛をカット。よし。出来上がった写真はちょっとラインが不自然だけれど、なんとかそれらしくなりました。何も知らずに満面の笑みをたたえる写真のモイ。それにしてもなんで私がこんな思いをしなくちゃならないんだ・・・夫婦喧嘩までして・・・・

大丈夫かな・・・と思いつつその微妙な証明写真をビザ代行会社に送ってしまえー!と送ると何の問題もなくオッケー。な〜んだ、拍子抜け。しばらくしてからその写真は上記⑤の興行ビザ申請許可書に貼られスペイン宅まで送られてきました。あーよかった。

ちなみにモイにやっと会えたのは契約書サインのために会った時から2ヶ月後、ミゲル&モイと共演した、3月2日ヘレス・フェスティバル併行追加アクティビティーライブ本番。本番後、その加工写真を本人に見せたら「なんだこの写真はー!!!」とむくれていただけれど、そんなの知るか。写真を提出しないおのれが悪い。人の苦労も知らないで。ま、ミゲルが大笑いしていたので私も一緒に笑いましたけど。

公演まであと1ヶ月、私が公演に向けて日本に発つ1週間前でした。

  • 写真上:「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演 アレグリアス・コン・マントン/衣装:ピリ・コルデーロ/撮影:松本青樹氏
  • 写真下:(左)モイ加工前(右)モイ加工後/撮影・加工:アントニオ・ペレス

2013年4月17日

Apr 17

ギターソロ(タランタ) カンテソロ(マラゲーニャ)みなさんこんにちは。

劇場を予約し前納金を払い、心の中で決めていた招聘アーティスト(ミゲル・ペレスとモイ・デ・モロン)に公演の話をすることにしました。彼らとはスペインで何度も一緒に仕事をしている。私はスペインの出演料の相場は分かるけれど日本の相場というものが全く分かりませんでした。そのため、周りの人でスペイン人を招聘したことのある周りの人達に金額をなんとな〜く教えてもらいました。う〜む。分かるような分からないような・・・。相場といってもあるようでないもの。アーティストによってもそれは大きく異なります。スペインの相場をそのまま日本の相場にあてはめることはできないし・・・。しかし共通しているのは、招聘する人間が、飛行機代・宿泊代・食費・興行ビザ発行代を全て払わなくてはならない。そしてそれプラス出演料。

よく考えました。本当によく考えました。公演の収入はチケット販売のみ。チケットが売れなければもちろん赤字。でも売れるか売れないかはやってみないと分からない。しかも初めての劇場公演。どのくらい売れそうかというのが想像がつかない・・・。さらにその他にかかるものもある・・・劇場使用料、音響照明スタッフへのお支払い、経費、宣伝広告費、私だってこの公演のためにスペインから日本へ行くのだ。忘れてはいけない自分の飛行機代。ざっといくつか挙げただけで膨大な支出額がはじき出されました。

第1回目のソロ公演「魚の選び方を知った時」はチケット販売開始後数日で完売になった。追加公演も行いそれも完売になった。公演の反響も凄まじかった。お客様はまた私の公演を観に来て下さる、確信に近いものもありました。でもあれは1回目だったから、すぐに完売になったのかも。チケット代が5000円だったから売れたのかも。場所が新宿や恵比寿のおなじみのタブラオだったからお越し頂きやすかったのかも・・・。今回は2回目。劇場公演。キャパも違う。チケットの値段も違う。「新百合ケ丘」という場所も関係してくるかもしれない。もし売れなかったら・・・???これまでに少しずつ貯めてきた元手はある。でも赤字がそれ以上になったら・・・・。

何人かの人は私に言いました。「日本にいるアーティストと共演すれば?」

確かにそれもあるかもしれない。日本にだっていいアーティストはいる。しかも、前述の飛行機代・宿泊代・食費・興行ビザ発行代この支出が全部ゼロになる。支払うのは練習代と本番当日の出演料のみ。支払い額が全然違う。全然。

でも私の頭の中ではもう、公演の構想はその時点ですでに大体できていました。私が必要なのはミゲルとモイ。支出を減らすために誰か別のアーティストに声をかけるなんてことは考えられませんでした。

あの時私は一時帰国中で日本にいました。意を決しました。この公演をやる。チケットは売る。

まずギタリストのミゲル・ペレスに国際電話をしました。本当は会って話したい。でもスペインにいた時は勇気がなくて話を切り出せなかった。またスペインに帰ってから話すこともできるけれど、それでは遅い気がしたのです。今、話さなくては。そう思って衝動的に電話をしたのを覚えています。公演の話をし、彼は二つ返事でokを出してくれました。そしてミゲルは言いました。「ジュンコの第1回目の劇場公演で弾けるということは自分にとってとても重要なことなんだ」。ありがとう、ミゲル。やっぱりミゲルに頼んでよかった。

そしてその勢いでモイに電話。なんとモイがすぐ電話に出た!これは本当に珍しい。日本からかけたのが功を奏したか??? そしてモイも二つ返事でokでした。モイは言っていました。「ミゲルと二人だけで働くのは初めてなんだ。ミゲルと自分とジュンコの3人で日本で仕事ができるのが本当に嬉しい」と。そしてこうも言っていました。「ジュンコにとって初めての劇場公演なんだろう?ジュンコが劇場を借りて、全部払うんだろう?それがどういうことが分かっているよ」

私は涙が出そうになりました。モイという人の本当の姿を国際電話の向こう側に垣間みたような気がしました。

公演5ヶ月半前。昨年10月、「魚の選び方を知った時」公演が終わったすぐ後のことでした。

写真:4月6日(土)「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演。撮影:松本青樹氏

2013年4月17日

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