May 8

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

ご報告が遅くなりましたが、先日開講された「カバジートスフラメンコさん主催 第2回萩原淳子大阪クルシージョ」はお陰様で無事終了しました。主催のカバジートスさん、会場でお借りしたスタジオ・ラ・クーナの井上みつまささん、受講生の皆様、誠にありがとうございました!

大阪近郊の方々を始め、岡山や島根など遠方からもたくさんの受講生にご参加頂き、「受講してよかった!」「また大阪に来て下さい!」とお喜びの声も多数頂きました。開講できてよかった、とほっとすると同時に大変嬉しく感謝しております。皆様どうもありがとうございました!!!

今回特に反響の大きかったクラスは、大阪では初開講となった「アレグリアス研究カンテ編(講義)」「アレグリアス研究バイレ編(講義)」クラスでした。カンテ編ではカディスの歌い手のCDを聴く事で、バイレ編ではアレグリアスの踊りのDVDを観ることで、歌とギターを聴くということはどういうことなのか、というのを講義形式でご説明するクラス。カンテ編は定員がありませんでしたが、バイレ編はお申し込み開始早々の満席となり、当初より皆様のご関心の高さが伺えました。ただ習った振付をなぞるのではなく、カンテとギターを感じて踊りたい!“フラメンコ体操”ではなく、“フラメンコ”を踊りたい!受講生のその熱心な姿勢がクラス内外でもたくさんの質問につながり、とても充実したクラスとなりました。

元々このクラス、私自身が日本で習いたいと考えていたクラスでした。でも習えなかったクラスでした・・・。そしてそれはスペインでも習えませんでした・・・。

日本でもセビージャでも「カンテを聴きなさい、ギターを聴きなさい」とずっと言われ続けていて、聴いていたけれど、でも、「あ、私、今まで聴いていたようで実は聴けていなかったんだ」と気づかされたきっかけがありました。それはセビージャのとある場所で毎週開催されていた即興プライベートフィエスタでの仕事。会場に着くまで何を踊るか分からない。とりあえず明るい曲と暗い曲用の衣装を1着ずつ持って行く。その場で踊る曲が決まる。事前の打ち合わせが全くなしの完全即興。アントニオ・モジャ、マヌエル・タニェ、ルビオ・デ・プルーナなどの素晴らしいアーティスト達に囲まれた信じられないような仕事でしたが、何が起こるかまったく分からない状態で毎回踊っていました。だって、私が踊る直前の会話はいつもこんなでした。

「ジュンコ、今日は何踊るんだ?」

「ソレア。」

それでおしまい。歌振りがいくつとか、ファルセータがどうのこうの、なんて構成すら説明する余地なし。なぜなら、これから何が起きるか誰も分からないので先に説明しても意味がないから。とにかくやってみるのみ。ギターはソレアを弾き、カンテはソレアを歌い、踊りはソレアを踊る。その即興が素晴らしい瞬間を生んだ時もあれば撃沈した時もありました。契約なんてなかったから、撃沈した時は、本当に落ち込みました。もうこの仕事に呼ばれないんじゃないかって・・・。

でも落ち込んでいる暇はありませんでした。次の仕事まで(もし呼ばれるとしたら)1週間しかない。次の週まで、なぜその即興がうまくいかなかったのか、今度そうならないためにはどうするかを徹底的に研究したのです。CDを聴きまくり、ビデオも観まくり、踊りの先生やギタリストや歌い手にもたくさん質問し、一緒に共演をしていたスペイン人の踊り手からもたくさん学びました。どうやって歌とギターをまとめているのか、乗せているのか、また逆に歌をギターが冷めてしまうのはなぜなのか。それでも毎回“事件”は起きました。その事件を少しずつクリアし、また撃沈し、そうこうしているうちに気づいたら1年半のレギュラー出演になっていました。

そう、私は習ったのではない。自分で学びとったのでした。

自分が学んだ経験を伝えたい、そう思ってそれを講義という形でクラスにしたのが「アレグリアス研究カンテ編/バイレ編」でした。他人の受け売りではなく、私自身の試行錯誤の結果から自分で見つけた真実、それがクラスの内容になっています。だから生徒の皆さんには、たくさんある学び方、アプローチの仕方のうちの1つだとお考え頂ければ幸いです。

クラス後、たくさんの生徒さんから「自分がまさに知りたいことだらけだった」「もっと早く教えてほしかった」「次回も必ず開講して下さい」などなどお声を頂きました。本当に嬉しく思います。ありがとうございます。大切なことはクラス受講後、みなさんがみなさんなりの身体や心を通して、みなさんなりの真実を見つけてゆくことだと思います。そのきっかけがこのクラスであれば、教える冥利に尽きるというものです。

フラメンコって大変。学べば学ぶほど、学ばなくてはいけないことが増えてゆき。好きになれば好きになるほど遠のいて行く。無理なんじゃないかなって思う時もあるかもしれません。でもそれ以上にフラメンコって素晴らしい。こんな素晴らしいものに人生の中で出会えたことも素晴らしい。それを温めていることも素晴らしい。だから頑張っている生徒さんは応援したい。私と一緒だから。

私の知っていることはフラメンコからしたらほんのコショウ粒にしかすぎないと思うけれど、それでも誰かのお役に立てるのならそのコショウをじゃんじゃん使って頂きたいと思います。

次回「第3回大阪クルシージョ」は8月3日(土)・4日(日)開講です。詳細はこのHP「クルシージョ」にてご確認下さい。

2013年5月8日(水) 明日セビージャへ発ちます。またお会いできる日まで!

May 3

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で本日、「第11回少人数制クルシージョ」(東京)を無事終了することができました。いつも素晴らしい生徒さん達に囲まれて本当に感謝です!受講して頂き誠にありがとうございました。

初めての開講の時は「私に習いたい人なんているのかな・・・」と心配だったけれど、お陰様でいつも本当に生徒さんに恵まれています。みなさん真面目で明るく熱心。そして個性的なんだな〜。クラスが本当に楽しい。「ああ、ああいう風に説明すればよかったな」とかクラスの後、後悔してしまうこともあるけれど。でも毎回毎回新鮮な発見があります。私も勉強させて頂いています。

やっぱり学ばなくなってしまったらダメだと思うのです。いや、もう学ばなくていいやと思ってしまうその考え方がダメだと思うのです。いや、ちょと待て、違う。学ばなくていいや、と思って辞めるのもそれまたその人の選択肢。だからダメではないか。間違いでもない。

日本ではなかな時間がとれないけれど、セビージャでは私はあちらの先生によく習います。初中級の生徒が多いクラスに入ることもしょっちゅう。すると多くの人が「なんで淳子さんこのクラスにいるんですかっっっ!!!」とか「まだ学ぶことあるんですか???」とか、大真面目に質問されます。当たり前でしょ〜。フラメンコは一生学んでも学び足りないものです。学べば学ぶ程、学びたいことや学ばなくてはならないことが増えてきます。それが苦しくてフラメンコから離れてしまう人もいらっしゃるのかな。うん、それもその人の選択肢。間違いではありません。

でもフラメンコってこんなに素晴らしいものなんだよ、ということを私は一人でも多くの人にお伝えしたい。そのために生きて、踊って、教えています。その積み重ねが少しずつ少しずつ、ぼわんぼわんと、少なくとも私の周りには増えてきているのかな。そんな実感があります。生徒さんを見ていると。

明日は大阪へ。5月5日・6日「第2回大阪クルシージョ」の開講です。今回も主催のカバジートスフラメンコさんにお世話になります!そしてクルシージョ会場となるスタジオ・ラ・クーナさんもどうぞ宜しくお願い致します!前回からの受講生、今回初めての受講生の皆さんともお会いできることを楽しみにしています!

「第2回大阪クルシージョ」詳細はカバジートスフラメンコさんHPにてご確認下さい。まだ空きのあるクラスもちらほらあるようです。

カバジートスフラメンコさんHPより。「第2回 萩原淳子大阪クルシージョ」

では、お会いできることを楽しみにしています!

2013年5月3日  こたつに入り肉まんを食べる。5月だというのに。

Apr 22

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で無事「第2回福岡クルシージョ」を終了することができました。受講して下さった皆様、誠にありがとうございました!

前回の福岡クルシージョもそうでしたが、今回も非常に楽しかったです。私は教えることが大好きで、それを仕事にできるというのは本当に幸せだと思います。素晴らしい生徒さん達にも恵まれ、これ以上のことはありません。

今回の「第2回福岡クルシージョ」で私が学んだことがあります。

①生徒さんの可能性を引き出すのは教える側の責任である

これは、「サパテアード原点」クラス内で学びました。東京や大阪でも開講しているこのクラス。クラスの名の通り、サパテアードの打ち方、姿勢、重心移動など“原点”から、毎回シギリージャのリズムを1コンパスずつ学び、東京では全5回で短めのエスコビージャが完成します。対象は初中級。今回の「第2回福岡クルシージョ」では受講生の半数がシギリージャのリズムを習ったことのない方ばかりでした。そんなこともあり最初は、内容が難しいかな・・・と心配したのですが、1時間15分のクラスの中で、“原点”から教えて行くうちに、みなさんどんどんサパテアードの音がよくなっていく。本当に驚きでした。後半、やはりリズムが難しいかな、と思いパソを簡単にしようか迷ったのですが、思い切って当初のパソを教えることに。やはり最初は皆さん戸惑ったようですが、パソではなくまずはリズムから入る私なりの教え方を実践してもらうと、少しずつ、でも確実に音の粒が揃ってゆく。驚きでした。

あの時に「多分無理だな」とこちらが勝手に判断しなくてよかった、と思いました。もしそうしていたら私は生徒さん達の可能性をつぶしていたのかもしれない。恐らく「難しい」と思われた方もいらっしゃったかもしれない。でも挑戦することでクリアできる部分もあるし、もしそのクラス時間内でできなくても、自分の頭で考え、自分の身体で試行錯誤する経験、それが大切、なぜならその経験なしに学ぶことは不可能だから。

②学ぶ時にはいつでも自分がゼロだと思わなくてはならない。

これは「コンパス重視のタンゴ」クラス内で学びました。このクラスも上記同様、東京や大阪でも開講しています。クラスの名の通り、振付やパソではなくコンパスそのものに焦点を当ててタンゴを学ぶというクラス。東京でも全5回でタンゴの歌振り1つが完成します。同じく対象は初中級。今回の「第2回福岡クルシージョ」の受講生のフラメンコ歴に幅があったように思えます。フラメンコ初心者に近い初級者と、長年続けていらっしゃる経験者。一見同じクラス内で学ぶのは難しそうですが、このクラスではフラメンコ歴というのは関係ありません。

でももし関係あるとすれば・・・経験のある人の方が学びにくい、という不思議な現象。なぜ?

それは、フラメンコ歴が長くなれば長くなる程、知識が増える。振付が増える。パソが増える。それは当たり前のことだしいい事だけれど、それに今度は縛られるようになる危険性もあるということ。そうすると新しいことを学ぶ時に、すんなり学べない。かえって初心者の方が知識や振付やパソを持たない分、教わっていることがすんなり頭にも身体にも入る。

昔、習っていたトロンボも言っていました。

「クラスに馬に乗ったまま乗り込む生徒と、きちんと馬から降りて馬を外につないでクラスに入ってくる生徒がいる。」

つまり、自分が学んだ知識を振りかざして「オレってうまいだろ」「私、これだけ知ってます」というのをぷんぷんさせてクラスを受ける生徒と、もしかすると前者よりももっと踊れるかもしれない、でもそれを外に置いてくる。クラスの中ではいつでも初心者のつもりで学ぶ、そういう謙虚な生徒もいる。そういうこと。本当にそうだな、と思います。いくらお金を払ってたくさんのクラスを受けても、前者であれば何も学べない。本人は学んだつもりかもしれないけれど。

重要なことは、今ある技術、経験、普段のお教室のクラスのレベルではない。自分がいかに学ぶか。そのためには何をしなければならないか。それはクラスを受ける前から始まっている。それはそもそもフラメンコを学ぶ姿勢にある。それはもっと言うとその人の人間性に関わってくるのではないでしょうか。

今回のクラス、初級の生徒さん達はそのまま学んで下さり、フラメンコ歴の長い生徒さん達はその“思い込み”や“縛り”がなくまっさらの状態で学んでいらっしゃいました。とてもいいクラスでした。ある生徒さんがクラス中に一言。

「酒が呑みたくなってきた」

????

そんな感想は初めて。なぜ???? なんでも、コンパスを他の生徒さんと共有していたら楽しくなってきて、酒が吞みたくなったそう。なるほどね。

他のクラスでも、よかったな〜。「マントン・テクニカ基礎」や「バタ・デ・コーラ・テクニカ基礎」のクラスでは前回からの継続受講生の成長が見られました。初めて挑戦してみた生徒さん達にも拍手!そして講義の「アレグリアス研究カンテ編」と同「バイレ編」。振付やパソだけでなく、ギターやカンテとの関係性ももっと学びたい!という熱心な生徒さん達がお集りになりました。

本当に素晴らしいクルシージョでした。たくさんの方からお喜びのご感想を頂きましたが、私の方こそ生徒さん達から学ばせて頂きました。皆様本当にありがとうございました。また福岡でお会いできることを楽しみにしています。

2013年4月23日 藤沢にて。

明日から5月3日まで東京クルシージョ。4月28・29日はつくば国際美学院さんにて、5月5・6日は「第2回大阪クルシージョ」です!がんばるぞー

Apr 21

ソレア・コン・バタ・デ・コーラ ソレア・コン・バタ・デ・コーラみなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

さて、前回のブログの続きです。

ミゲル・パソコン事件も解決し、明日本番。最後の練習です。この日は15:00から舞台監督さんだけいらっしゃるということで、午前中に作戦会議。昨日のリハーサルでは走りまくり、公演時間が全体たったの50分になってしまった・・・

ミゲルが言いました。「昨日は3人とも皆走り過ぎていた。もっと落ち着いていいんだ。それにしても、ジュンコのサパテアードのスピード、どうしたんだ?!」サパテアードのスピード?だから、昨日は走っちゃったんだって・・・、ミゲルは言う。「以前だったら、走っても『もうできない』って止まってたのに、昨日はあのスピードでも普通にサパテアードしていたぞ。」・・・うん、確かに。走ってたけど足は普通に動いていた。ミゲルは言いました。「サパテアードの技術が格段に上がってるよ。音もクリアになって以前よりずっといい。ジュンコ、相当練習したって言ってただろう?」

思い当たることがありました。1月中に受けたファルキートのレッスン。ファルキートのクラスは結構休みが多くてあまり受講できなかったけれど、数回受講しただけでも私の中にあの音は残った。全然違う音。誰とも違う音。フラメンコの音。それを心に留めて1人でもくもくと練習した2月、3月。もし私のサパテアードがよくなっているのだとすれば、それしかあり得ない。私はあえて中級クラスに入った。難しいパソをなんのセンティードもなくどかどか打っている上級クラスに入るのではなく、パソは簡単でいい。ただしそれをきちんとやる。きんとやるというのはファルキートのレベルできちんとやる。それが上級クラスのパソを学ぶよりどれ程難しいことか。

でも私が1人で練習していた時にずっと感じていたことは、ミゲルが言ったことと逆だった。自分のサパテアードの音がひどい、私はずっとそう感じて練習に励んでいた。多分、あのファルキートのクラスで、私の耳はファルキートの音に照準を合わせてしまったのだろう。だから自分のサパテアードの音がひどく聞こえるようになってしまったのだ。結果、自分ではひどいと思っていたけど、相対的に見た時にその音のレベルは上がっていたのだ。ファルキートと比べたら比べものにならないほどひどい。でも昔の自分のレベルはゆうに超えたのだと思う。知らず知らずのうちに。

耳は大切だ。耳そのものよりも「聴く力」。これがなければ踊れない。歌えない。弾けない。おいしいものを食べていれば舌が肥えるのと同様、いつもいいものを耳にしていなくてはならない。知らず知らずのうちに聞いているものに耳は慣れてゆく。よくも悪くも。

15:00。舞台監督さんがいらっしゃる時間になりました。ミゲル、モイ、私の3人は誰も何も言わなかったけれど、昨日のぼろぼろのエンサージョよりずっといいエンサージョにしてみせる、という意気込みがありました。お客さんはたった1人。舞台監督さんのみ。リハーサルが始まりました。ミゲルの伴奏から始まり、モイのカンテに続き、私はぞわぞわっとしたものを感じていました。恐ろしい、この二人。やはりただものではない。ものすごいシギリージャでした。どうしてモイは真っ昼間から、スタジオで、こんなに恐ろしいシギリージャを歌えるのか。

ミゲルのギターソロに続き、私のマントンのアレグリアス。そしてその後に事は起こりました。

モイのカンテソロ。マラゲーニャ。

私は涙が止まりませんでした。なんてフラメンコなのだろう。これを、明日、明後日お客様は客席から聴くのだ。これはとんでもない公演になる。

さらにソレア。私のバタ・デ・コーラのソレア。覚えていない。

そして最後のマルティネーテ。

タンゴ。

おしまい。

その日のリハーサルで計った公演時間は1時間20分でした。

それよりも、あのリハーサルはなんだったのだろう・・・。まるでそれはもう公演のようでした。

ミゲルが言いました。「この公演は絶対に成功だ。間違いない。」

モイもそれに頷いていました。

どうして、そんなことを断言できるのだろう。でも彼らがそう言うならそうなのかもしれない。

きっとそうに違いない。そうあってほしい。そうでなくては困る。きっとそうなのだろう。

いろいろな思いが私の中で渦を巻いていました。

4月5日、公演前日の夜でした。

写真:「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演ソレア/写真:松本青樹/衣装:ピリ・コルデーロ

2013年4月20日 小倉のホテルにて。

Apr 19

photoみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

前々回からのブログの続き。おもしろすぎ!と大好評です。

公演1ヶ月前。ばたばたと、

①2月28日 セビージャからマドリッドまで深夜バス移動(電車のチケット売り切れてた・・・)

①3月1日 マドリッドの日本大使館まで行ってミゲルとモイのビザをもらい、そのまま電車でヘレスへ移動。

②3月2日 へレス・フェスティバル併行追加アクティビティー公演でミゲル、モイと共演。

③3月3日〜6日 へレス・フェスティバルにてエバ・ジェルバブエナのクラスを受講。→セビージャへ移動

⑤3月7日 セビージャでライブ。(日本での公演1ヶ月前!)

⑥3月10日 セビージャから日本へ。

という日々を過ごしていました。私も忙しかったけど、ミゲルやモイも忙しい。3人で会う時間が全然とれなかった。

「セビージャで合わせてきたんでしょ〜?」とよく聞かれましたが、実際3人で公演用に合わせたのは1回だけ。ヘレスで踊った後、そのままヘレスのスタジオで合わせをしました。2時間半くらいだったかな。公演で踊るシギリージャ、ソレア、アレグリアス、タンゴをざっと合わせて、録音して、はい終わり。本番前も、彼らが日本に着いてから合わせたのは本番前々日と前日の2日間のみ。劇場公演で、この合わせの少なさでいいのか・・・と思ったけど、よかった。本番素晴らしかったですからね!

いや、ちょっと待て。大変だったのはミゲルとモイが日本に来てからの1日目のリハーサル。公演2日前。(彼らの飛行機珍道中も大変だったらしいけど、それはすでにブログにしているので、そちらを読んでね。→http://www.layunko-flamenco.com/JA/2013/04/miguel-perez-y-moi-de-moron-ya-estan-en-japon/)午後から照明や音響さんスタッフがいらっしゃるということで、午前中に慌てて3人で合わせ。しかもそのリハーサルには、ミゲルのお友達でもあり踊り手さんの水村繁子さんが見学にいらっしゃることに。水村さんはどうしてもご都合がつかず公演にいらっしゃれないのでリハーサルを見学されたいとのこと。そして踊り手仲間で公演当日の着替えお手伝いをしてくれる太田マキさんも見学にいらっしゃいました。

・・・萩原、当日はかなり緊張していました。3人の合わせもまだ不十分だったこともあり、リハーサルはぼろぼろ。しかも全部通してみて、舞台監督さんの一言。「公演時間全体で50分です」

え〜!!!そんなはずない。これだけ踊って、ギターとカンテもあって50分ってことはない!

ところがあったのです。実は緊張しすぎて走り過ぎ。全部早くなってしまっていたのでした・・・。

リハーサル後ミゲルとモイと3人で反省会。二人は言っていました。「ジュンコだけじゃないよ。オレたちもすごく走った。今日のリハーサルはなんか変な雰囲気だったんだ。それに飲まれた。でも落ちついてやれば大丈夫。明日は大丈夫。」

そうか、彼らでもそういうことがあるんだ・・・。でも、本番だって緊張すれば走るかもよ、と私が言うとモイは言ったのです。

「衣装を着て舞台に立てばそればありえない。舞台は全然別だ。」

そうなのだ、この人達の本当の強さは本番で想像のつかない底力を出すことなのだ。大丈夫。私にはこの人達がついている。明日もう一度気分を改めて合わせよう。そうすれば絶対大丈夫。

ところが帰り際、ミゲルが突然とんでもないことを私に言ってきたのです。

「昨日、ホテルの人にパソコン壊されたんだ。」

えええええええ!!!!どういうこと????!!!!!

ミゲルの話よると、電源アダプターをホテルの人が無理に外そうとしてボキッと折れたらしく、その一部がパソコンに入ったままで、パソコンが使えなくなってしまったとのこと。

それにしてもそんな不注意な人間がホテルで働いてちゃんと勤まるのか?ミゲルは嘘をつくような人ではないし、本人は「いいよいいよ、古いパソコンだから壊れても仕方ないよ」なんて言ってるけど。よくない。古かろうがパソコンはパソコンだし、ホテルの人が壊したのなら責任とってもらわないと。

萩原、鼻息荒くすぐさまホテルに電話。支配人と話をし、説明を受けたがどうもキナ臭い。何かがある。ミゲルが外国人だから分からないと思ってごまかしているのかも。いろいろ問いつめたところ、やっと罪を認めた。ほれみろ。ミゲルは悪くない。結局次の日ミゲルのパソコンを壊した従業員が謝罪するとのことで、萩原 ホテルに向かう。

ホテルに着くと、支配人とその従業員が直立不動で「萩原様、大変申し訳ございませんでした!!!」と頭を下げてきた・・・

「いや、私に謝られても、本人のパソコンが壊れたままでは困るのですが。」と、萩原、顔色一つ変えずに言うと、奥のロビーにいたミゲルが、ジュンコ、ちょっとと呼ぶ。

ミゲルが言う。「壊したのはホテルの人なんだけど、もういいよ、ジュンコ。実は昨晩、モイとオレでパソコンを分解して直したんだ。もう直ったんだ。」

何?この二人。ただのギタリストと歌い手ではないというのは知っていたが、そんな技術まで持っていたのか?!

「本当に直ったの?」と聞くと「うん、俺たちで直した。だからもういいよ。しかも俺のパソコン古いから」。と言ってミゲルはその直したパソコンを取り出したのですが・・・・、萩原、目が点。

それはパソコンというより、どう見てもアルバムにしか見えませんでした。

こんな分厚いパソコンが世の中にあるということを、一体この世の誰が想像できるのでしょうか・・・

そのアルバム、いや、パソコンを目にした途端、「こりゃ壊れてもおかしくはないわ」と萩原妙に納得。直立不動でこちらの様子を伺っている支配人と従業員に私は何と言えばいいのだろう。。。そんな私を尻目にミゲルは「このパソコン、オジさん」(古い、ということを伝えたかったらしい。)と片言の日本語でホテルの人に話しかけ、微妙な雰囲気がさらに微妙に・・・。

「どうも自分達で直したみたいです。気にしないで、と本人が言っていますので、今回はそういうことで。どうもお騒がせしました」とお辞儀をし、そそくさとその場を去ろうとする私に、いつの間にかその場にいたモイが「ジュンコ、ちょっと」と奥に呼び、小声でいいました。

「ミゲルは『オレたち』が直した、って言っただろ。『オレたち』じゃなくて、直したのは『オレ』だ。パソコンを解体したのは『オレ』、壊れた部品を取り除いたのは『オレ』。ミゲルはパソコンを押さえていただけだ」

もう、頼むよ、この二人。私を振り回すのはやめてくれ。分かっているのか、本番が明日だということを・・・。

(続く)

写真:ぼろぼろのリハーサルの後にしては笑顔。スタジオにて。太田マキさん撮影。

マキさん、公演のお手伝いをして頂き本当にありがとうございました!!!

4月19日(金)博多のホテルにて。

Apr 17

アレグリアス・コン・マントン アレグリアス・コン・マントン

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。今日はクラス休みなので、またブログを更新しちゃうぞ。朝のブログの続きです。

【注意! 今回のブログ、自分で笑ってしまいました。会社等でこっそり読んでいらっしゃる方、お気をつけ下さい。】

ミゲルとモイからの共演OKをもらえたけれど、今度は彼らの興行ビザをとらなくてはならない。これも初めての経験。前回の「魚の選び方を知った時」公演は新宿エルフラメンコさんが契約していたアーティストをお借りしたので、それは必要ありませんでした。その意味では手続きが本当に楽。スペイン人アーティストが共演者といっても、すでに他の団体が招聘しているアーティストを借りるのと自分で招聘するのは大違い。いろいろ調べたところ、興行ビザを個人でとるのは難しそう。(提出書類として招聘側の会社登記とかいろいろ必要みたいです)というわけでいくつかの団体に問い合せてみて、共通して紹介されたビザ取得代行会社にお願いすることに。昨年一時帰国していた際に代行会社の担当の方とお会いし、必要書類や準備の流れを教えて頂きました。

要は、

①代行会社側から指示されたアーティストの書類を準備する。(アーティスト経歴、写真、パスポートコピー、飛行機チケット情報、宿泊先情報など)

②上記書類を代行会社に郵送

③代行会社より、アーティスト契約書が送られてくる。

④アーティストに契約書をサインしてもらい、それを代行会社に送る。

⑤代行会社より興行ビザ許可書が送られてくる。

⑥⑤の許可書とアーティストのパスポート原本を持って、マドリッドの在スペイン日本大使館でビザを発行してもらう。

なんだ、簡単じゃん、というただこれだけの流れなのですが、結構大変だった・・・。まず①の段階で問題発生。ミゲルとモイに書類を連絡して、その次の日に全部揃えて提出してきたのはミゲル。全然連絡こないのがモイ。あ〜この二人の差。想像はしていたが・・・

二人は日本で私と仕事をしてくれると話してくれたけど、まだ口約束。契約書にサインしてもらうまでは安心できない。しかもモイとはずっと連絡がとれなかったのでかなり不安な毎日でした。

なんとか二人との約束をこぎつけて3人で会い、サインをしてもらい一安心。・・・と思ったけれど、まだモイの提出書類が揃っていなかった・・・・

足りなかったのはモイの経歴と背景白の証明顔写真。そんなの早く出せばいいじゃんと思うのですが、それが出さない。経歴出せ、と言っても「オレには経歴がない」とか言うし。ないわけないだろー、ミゲルなんて生まれた時からの経歴書をきちんと書面で提出してきたのに。もう仕方がないので、ネットでモイの経歴を探しました。ありました。英語で。それをビザ提出用にスペイン語と日本語に訳し、しかしその経歴はかなり古かったので・・・実は今だから言える真相ですが・・・・後半半分くらいは、萩原、自分で付け加えました。(もちろん私が知っている彼の最近の経歴をネットで調べて裏付け調査をしました。だから嘘でたらめではありません)それをモイに読ませ、これでいい?と聞いたら、「いいよ」というのでそれで決定。なんで私がこんなことしなきゃいけないんだ、と思いつつ、待っているくらいなら自分でやっちゃった方が早いからやってしまいましたよ。

MOISES 申請用写真1 MOISES 申請用写真2そして背景白の証明顔写真。そんなのそこら辺の写真屋さんで撮ればいいじゃんと思うのですが・・・・これも出さない。出さない以前にモイに電話してもなかなかつながらないですから話が進まない。経歴はネットで調べられても、モイのビザ用背景白の顔写真はネットではヒットしなかった・・・・歌っている顔写真を証明写真にはできないしねえ・・・

そこで萩原、何をしたか。苦肉の策で、公演プログラム用に撮ったミゲル・モイ・私の3人の写真(左)を夫(カメラマンです)に渡し、それを背景白顔写真に加工(写真右)してもらったのです。要はPhotoshopで3人の写真のモイの顔の輪郭部分だけ切り取って、その背景を白に上塗りするのですが、またまた問題発生・・・・。モイの頭、はげているようで実は写真を拡大すると波平さん(サザエさんの)の1本毛みたいのが無数に「ほにゃほにゃ」と生えていたのです!背景を白にするということは、その「ほにゃほにゃ」部分をそっくり切り取らないと背景白にならない。

プロのカメラマンの夫は不服そうでした。「ほにゃほにゃ」なので、その1本1本をその通りに切り取ることは不可能に近い。「ほにゃほにゃ」の部分を含めてカットすると「ほにゃほにゃ」の後ろの本来の写真の背景の色が入ってしまうので、背景白にはならない。仕方がないので、地肌のラインに全て合わせて「ほにゃほにゃ」部分全てカットすることに。夫は言いました。

「これはモイの真実の頭ではない。この写真は虚偽だ。」

夫はプロだ。だからそのような偽りの写真を許すことができない。それは私にも分かっている。モイにはもっと毛が生えている。でも今の私に必要なのは、写真の真実でも、ましてやモイの毛でもない。モイの背景白の写真なんだ!!!ほにゃ毛を含む彼の頭の“真実”を追求したら、背景白にならないんだよー!!!背景白にならなかったら写真をビザ代行会社に提出できない。写真を提出できないってことは、書類不備でモイが日本に来れないってことなんだよー!!!私の公演できなくなるじゃないかー!!! モイのほにゃ毛のせいで!!!

私の必死の説得に夫は渋々、モイの地肌に合わせ、ほにゃ毛をカット。よし。出来上がった写真はちょっとラインが不自然だけれど、なんとかそれらしくなりました。何も知らずに満面の笑みをたたえる写真のモイ。それにしてもなんで私がこんな思いをしなくちゃならないんだ・・・夫婦喧嘩までして・・・・

大丈夫かな・・・と思いつつその微妙な証明写真をビザ代行会社に送ってしまえー!と送ると何の問題もなくオッケー。な〜んだ、拍子抜け。しばらくしてからその写真は上記⑤の興行ビザ申請許可書に貼られスペイン宅まで送られてきました。あーよかった。

ちなみにモイにやっと会えたのは契約書サインのために会った時から2ヶ月後、ミゲル&モイと共演した、3月2日ヘレス・フェスティバル併行追加アクティビティーライブ本番。本番後、その加工写真を本人に見せたら「なんだこの写真はー!!!」とむくれていただけれど、そんなの知るか。写真を提出しないおのれが悪い。人の苦労も知らないで。ま、ミゲルが大笑いしていたので私も一緒に笑いましたけど。

公演まであと1ヶ月、私が公演に向けて日本に発つ1週間前でした。

  • 写真上:「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演 アレグリアス・コン・マントン/衣装:ピリ・コルデーロ/撮影:松本青樹氏
  • 写真下:(左)モイ加工前(右)モイ加工後/撮影・加工:アントニオ・ペレス

2013年4月17日

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