Dec 31

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか。

私の方はここ数日風邪を引いて熱を出していました。せっかくのクリスマス休暇を満喫し始めたと思ったら・・・1年の疲れがどっと出たのかな〜。それだけ休む必要があったのかもしれません。

本当にこの1年全力疾走でした。自分でもよくがんばれたなと思います。なぜそこまでがむしゃらになっているのか自分でもよく分かりませんが・・・。それにしても、はて、私は一体何をしたのだろう???というわけで、この1年を振り返ってみました。

【2010年萩原淳子の動き】(緑・・・スペインオレンジ・・・日本)

  • 1月 セビージャにて練習とレッスンの日々
  • 2月 セビージャ3公演
  • 3月 ヘレス・フェスティバル併行ペーニャ公演、ハビエル・ラトーレ作品群舞出演エルフラメンコ水曜特別   企画公演「AMI」ゲスト出演
  • 4月 東京第3回少人数制クルシージョ開講、恵比寿サラ・アンダルーサ出演
  • 5月 セビージャにて練習とレッスンの日々
  • 6月 コルドバ・フェスティバル出演、ロンダ・コンクール優勝
  • 7月 ラ・ウニオンコンクール出場(予選落ち)東京第4回少人数制クルシージョ開講、恵比寿サラ・アンダ    ルーサ出演
  • 8月 ロンダ・フェスティバル出演
  • 9月 セビージャにて練習とレッスンの日々、セビージャライブ、ペーニャソロ公演
  • 10月 セビージャライブ東京第5回少人数制クルシージョ開講
  • 11月 コルドバ・コンクール出場(予選落ち)
  • 12月 セビージャ・ソロ公演**************************************************こりゃ、年末に熱も出すわ。私だって人間ですから。そして改めて。たくさんの人々の協力や応援があったからこそ、ここまでがんばれたのだと思います。本当にどうもありがとうございました。そして、いつもブログを読んで下さる皆様も、どうもありがとうございます。今年は割とまめに更新したためか、たくさんの方から「ブログ読んでます」「おもしろいです!」とのお声を頂きました。とても嬉しかったです。統計をとっているわけではないのですが、反響の大きかったと思われる順にアップしてみました。(数字をクリックするとそのブログを読めます。) 

    第1位 「ロンダ・コンクール優勝」&「ロンダ・フェスティバルを終えて1、2」→06 08

    『感動しました!』『勇気づけられました!』とのお声を頂きました。そんなお声に私の方が勇気づけられました。(ちなみにこの両ブログを元にした記事が月刊パセオフラメンコ3月号に掲載されます。パセオさんから依頼され初めて書いた記事ですが、パセオの小山さんから『素晴らしい!読者によって、何度も読み返される保存的読み物になるでしょう』とのお言葉を頂きました。わ〜すごい。そちらも是非お読み下さいね。)

    第2位 「エバ・ジェルバブエナへのインタビュー」01

    『アップしてくれてありがとうございました。』とのお声が多かったです。なんと!携帯に登録していつでもこのブログを読めるようにしていらっしゃる方まで!いえいえ、そんな、こちらこそ読んで下さいましてありがとうございます。

    第3位 「志風恭子さんの批評から1、2」04

    たくさんの方から励ましのお言葉を頂きました。志風さんからもメールを頂きました。今になって振り返ると器の小さな自分を恥ずかしく思います・・・それを教えて頂きどうもありがとうございました。これからもがんばります。ご指導よろしくお願い致します。

    第4位 「萩原淳子のビエナル鑑賞記①〜⑤(最終回)」→09

    『いろいろな角度からの鑑賞記で読みごたえがあります』『ビエナルには行けなかったけど、しっかり観た気分になりました』とのお声等。このブログは結構骨を折ったので、折った甲斐がありました・・・

    第5位 「タンゴ・デ・ペピーコ」→02

    『爆笑!!!』『会社でブログを読んでいて笑いをかみ殺すのに必死でした』とのこと。・・・・確かに。自分でも笑えます。

    番外編 飛んでいる写真

    『本当にあんなに飛べるのか』『合成写真ではないのか』という問い合わせが・・・・。本当に飛んでいます。(しかもビーチ・サンダルで!)実は私、小学校の時の体力測定で垂直跳び校内1位の実績を持っているのす。ふふふ。

    (ちなみに、これまでのブログはこのHP右下の「Archives Selectos Month」という所をクリックすると過去のブログを月別で読む事ができます。お暇な方はどうぞ・・・)

    こうして振り返ってみると、あんなこともあった、そういえばこんなことも・・・と思い出されます。踊りや教授活動、そしてこのブログを通してたくさんの方と出会うことができた2010年でした。

    そしてそのような素晴らしい出会いを通してたくさんのことを学ばせて頂きました。

    本当にどうもありがとうございました。

    これからも少しずつ学び、「人間」として成長してゆけたらと思います。

    そうして成長する「人間」である私が踊ったり、教えたりして踊り手としても成長してゆけたらと思います。

    どうぞよろしくお願い致します。

    みなさまもよいお年をお迎え下さいね。

    2010年12月31日 数時間後にはリスボンへ発ちます♪  今の所はまだセビージャ、にて。

Dec 26
クリスマス休暇中です〜
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 12 26th, 2010| Comments Off

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で私は元気です。待ちに待ったクリスマス休暇が始まりました〜!!!

先日は、セビージャ大学の中庭で行われた、レブリハの人達の「Zambomba(サンボンバ)」(写真右:Araceli Pardal Redondo)を聴きに行きました。

「サンボンバ」とは本来は楽器。(写真左:wilipediaより)棒を上下に動かすことによって音を出します。スペインではクリスマスの時期に登場します。アンダルシア地方ではこの楽器やフラメンコ・ギター、パルマ(手拍子)を使い、クリスマスの歌をフラメンコ風に歌うことが多いので、そのフィエスタを「サンボンバ」とも呼びます。

ちなみにこのサンボンバの一部をYou Tube で見る事もできます。トマス・ペラーテ(左写真で立っている人)が歌っています。こちらをクリックしてね→ watch?v=WuXM3NeM2cI

そして、街にはサンタ軍団が出没。ヘルメットにまで帽子とひげがついているよ・・・。

さらに私のピソ(スペインのアパート、マンション)の踊り場にはこんなクリスマス・オブジェが。2階に住む、舞台芸術家のロシオの作品。さすが〜。

そしてここ数日はクリスマスのお食事会続きで食べてばかり。先日招待されたお食事会のお料理はこんな感じです。

といってもこれは「前菜」。さんざんエビ、カニ、ハモン、チーズ・・・etcを食べた後に野菜料理、魚料理、肉料理と続きました。そしてデザートは私が持参したクリスマス・ケーキ。カトリックの国らしいクリスマス・ケーキです。そう、クリスマスって、キリスト誕生のお祝いなんですよね・・・改めて。

夜中まで食べ続け、お腹いっぱい。ご招待して下さりどうもありがとうございました!

あ〜久々の「のんびり」生活。1/9まではフラメンコのお教室も閉まり、私の生徒さんも休暇でセビージャを離れるので、私もお休み。のんびり起きて食べて、お掃除して、ちょっぴり練習して、また食べて昼寝して・・・

今年一年は本当に突っ走ってきて、やっと休むことができました。年末年始はリスボンで過ごします。がんばった自分にご褒美です。

ではみなさんも素敵な年末年始をお過ごし下さいね。

2010年12月26日 セビージャにて。

Dec 18
エンリケ・モレンテの死から・・・
La Yunko | ブログ | 12 18th, 2010| Comments Off
みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
*
月曜にエンリケ・モレンテが亡くなりました。グラナダの偉大なフラメンコ歌手です。「危篤」というニュースがあって、え!!!と思っている合間に「脳死」とのニュースが流れ、そんなことって・・・と絶句しているうちに亡くなってしまいました・・・。
*
小学校の国語のテストでは「生」と「死」は対義語でした。でも本当は類義語なんじゃないかな。一日一日生きていくことは、一日一日死に近づいていくこと。エンリケは亡くなってしまった。でも私は生きている。今週一週間は虚しさを背負いながら、でも、生きているからにはその「生」を全うしなければ、と自分で自分を奮い立たせていました。
*
私が一生懸命生きたところでエンリケは生き返らないのだけど・・・
*
肉体は滅びる。でもエンリケが残した歌は私だけでなくたくさんの人の心に刻みつけられているのだと思います。そしてそれぞれがそれぞれの思いでそれを守る。守り抜く。だからこそフラメンコは受け継がれていくのではないかな。どんなに美しくてもかっこよくても、それが表面だけの話しであれば、いつかははがれる。廃れる。捨てられる。でも核心は核心のままだ。心を貫くものは貫き続ける。エンリケ・モレンテとはそういう「刻印」を残してくれた歌い手だったのだと思います。
そんな毎日の中、嬉しいこともありました。母からの荷物が届いたのです。お正月を日本で過ごせない私に(一体いつから過ごしていないのだろう。)毎年一年に一回、12月に荷物を送ってくれる母。今年送られてきたものは
  • 切り餅                              
  • 昆布巻き
  • ゆず
  • きなこ
  • たらこ
  • 白みそ
  • 海苔
  • どくだみ茶
  • 緑茶
  • 天津甘栗
  • 寒天の粉
  • カップラーメン
  • 栗きんとん
  • ヨックモックのクッキー
  • うどん
  • みそ汁の具
  • ごま
  • スリッパ
  • 靴下
  • レッグウォーマー
  • ユニクロのヒートテックシャツ
  • 台ふきんでした。*「これ、セビージャにもあるよ〜お母さ〜ん!」と思えるものもあるのですが・・・来年もおいしいお雑煮を作ります。ありがとう、お母さん。(写真:自宅居間にて。同居人撮影。)
2010年12月17日 早速カップラーメンを頂きました。セビージャにて。
Dec 4

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で、12/1(水)に行われたセビージャ・テハール・デル・メジッソ市民センターでのソロ公演は無事終了しました。たくさんのお客様にお越し頂き立ち見になってしまった方も多かったようです。申し訳ございませんでした。観に来て下さった皆様、日本から応援して下さった皆様どうもありがとうございました。

(ギター:ミゲル・ペレス、カンテ:ヘロモ・セグーラ、ハビエル・リベーラ、写真:アントニオ・ペレス)

踊った曲はティエントとバタ・デ・コーラのアレグリアス。1曲目のティエントでは踊りながら自分で「あちゃー」と思ってしまった箇所がいくつか。後でビデオで確認したら、「あちゃー」どころか「嗚呼〜ぢゃ〜(絶句)」でした。(今となっては笑えますけど・・・)踊りを勉強されている方はお分かりかと思いますが、自分の踊りをビデオで客観的に見るのはつらいですね。実際生で観るのとビデオで観るのは全く違いますが、それでも自分の欠点をつきつけられてしまいます。これは逃げ場がありません。動かぬ証拠ですから・・・。毎回これで落ち込むのですが、しかしそれでも地球は廻っている。自分の踊りをビデオを観るのは勉強のため。落ち込んでやる気をなくすくらいなら、観ない方がいいのです。そして観るからには、そこから立ち直る強さも持ち合わせていないといけません。もちろん、自分の踊りにうっとり〜♥という人は別ですが・・・。というわけで、今回の経験を次回にいかす。結局舞台の上での「嗚呼〜ぢゃ〜」があるからこそ、学べるのだと思います。ただでは起きないために転ぶのです!そうだ、ごろごろ転べ〜!!!

2曲目のバタ・デ・コーラ(フラメンコの裾の長い衣装)のアレグリアス。こちらはだんだん余裕が出てきました。初めて踊ったのが今年の1月。それからもうすぐ1年経ちます。バタで踊るとなると広い場所が必要になってくるので、いつでもどこでも踊れるわけではありません。それでもなんとか踊ってきて、段々と自分のものになってきている感じがします。明らかに1曲目のティエントと、その経験の差があります。(ティエントを舞台で踊ったのは今回でまだ2回目)やはり日々の積み重ねが大切なんだと実感しました。この調子でもっとがんばるわ。

・・・・と、これが自分の踊りのビデオを観た自分の感想。

公演後たくさんのお客様に拍手を頂き、囲まれ、温かいお言葉を頂きとても嬉しかったです。今回の公演に私を呼んでくれた、セビージャ・ペーニャ連盟の方が「回を追うごとに踊りが自由に解放されている。」とおっしゃっていました。回を追うごとに?私の踊りを観て下さっていたのか・・・・「もう数年前から観ているよ。私はね、いつもいいアーティストがいないか探しているんだ。次もまた君を呼ぶからね。」

知らなかった。きっと私の知らない所で私の踊りを見守って下さる方が他にもいらっしゃるのだろう。そう思ったらとても嬉しくなりました。私はここでいろいろな方の愛情に育まれているのだと思います。知らず知らずのうちに。でもその「愛情」というのは私個人に対する「愛情」ではなく「フラメンコへの愛」。ただひたすらフラメンコを学び続ける、単なる一人の外国人である私を応援してくれる。いい所も悪い所も全部ひっくるめて。それは「愛」があればこそだと思うのです。

その「愛」に恩返しできるような踊り手になりたい。そのためには今できることを、もっとがんばらなくでは。妥協なしに。

次回公演は来年1/21(金)。セビージャのペーニャ「ピエス・プロモ」でのソロ公演です。共演アーティストが決まりましたらまたお知らせ致します。

2011.1.21 // 「フラメンコ・アビエルト」 -ペーニャ・フラメンカ・ピエス・プロモ(セビージャ)22H

入場料:5ユーロ

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • 未定
  • 未定

では今年もあと少しですが、まだまだ全開で2011年を迎えたいと思います。

皆様もどうぞお元気でお過ごし下さいね。またお会いしましょう。

2011年12月3日 これから日本のクルシージョ案内準備にとりかかります!・・・セビージャにて。

Nov 27

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャもだいぶ寒くなりましたが、お陰様で私は相変わらず元気です。

12/1(水)にセビージャでソロ公演があります。

2010.12.1 // 「オトーニョ・クルトゥラル」 -(テハール・デル・メジッソ市民センター、セビージャ)19:30H 入場無料

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • ヘロモ・セグーラ
  • ハビエル・リベーラ
  • ミゲル・ペレス

※↓「オトーニョ・クルトゥラル」についてのネット記事(スペイン語)

sevilla-otoño-cultural-en-los-remedios

「ラ・ジュンコ」出身・日本、と紹介されています。(力士みたいですね。)写真も下の方にアップされています。

「オトーニョ・クルトゥラル」はセビージャ、レメディオス地区で毎年行われる秋の文化行事です。10月から12月までコンサート、演劇、フラメンコ、ミュージカル等が計18公演。単純計算すると1ヶ月に6公演、週に1〜2公演。しかもそれが無料で楽しめます。地域の住民はもちろん、全ての人が入場無料です。(経済危機の中、文化や芸術を守る姿勢に拍手を送りたい。)フラメンコは3日間、そのうちの1日に呼ばれソロ公演をすることになりました。

今回の共演者、ギターは最近いつも一緒に仕事をしているミゲル・ペレス。この人は本当にいいギタリストなのです。ギターはうまい、舞踊伴奏も経験豊富、人柄もいい。いつも5分前行動。お金に汚くなく、もちろん麻薬なんてやっていません。(そんなの、仕事なんだから当たり前でしょ〜!と思いたいのですが、ここではいろんなアーティストがいます。困ったものです。)私はミゲルの率直で誠実な人柄が好き。裏表がなく、おべっかも悪口も言わない。結局そういう人間性がギターに現れるのだと思います。

さて、カンテは誰にするか。踊る曲はアレグリアスとティエント。まずハビエル・リベーラ。先のコルドバ・コンクールで歌ってくれました。コンクールではどちらも踊りませんでしたが、合わせの段階でものすごくいいティエントを歌ってくれたのです。あのティエントで踊りたい、ということで、まずはハビエル。

そしてもう一人の歌い手は?ここで随分悩みました。モイ・デ・モロンかヘロモ・セグーラか。全くカラーの違う二人。好みが分かれる所かもしれませんが、どちらも歌い手として一流です。う〜む。最終的にヘロモを呼びました。なぜなら、ティエントを踊るから。アレグリアスは二人ともとてもいい。もしソレアを踊るならモイを呼んでいたと思いますが、ティエントとなると後半はタンゴもあり、やっぱりヘロモかな、と。ハビエルとヘロモは長年一緒に仕事をしているし、そういう組み合わせというのも重要だからです。

よく「共演者はどうやって決めているの?」と質問されることが多いのですが、これは難しいのです。すでに共演者が決められていてそこに自分が入る場合は別として、自分で共演者を選ぶ場合は結構大変。最近ではそうでもありませんが、最初の頃は私がいきなり電話をしても「オマエ誰だ?日本人?」みたいな反応をされる可能性が非常に高かったので、誰かに紹介してもらわないと出演交渉ができませんでした。そうして少しずつ共演していくうちに、別のアーティストを紹介してもらえるようになり、自分で直接交渉できるようになり。時には逆に「自分と共演してほしい」と言われることもあったり・・・。(ありがたいことです。)

しかしいつでも自分の好きなアーティストと共演できる訳ではありません。日程、場所、出演料の関係で共演アーティストというのは変わってきます。いったん共演承諾されても、よりよい条件の仕事が入れば直前でもそちらに鞍替えする人も結構います。そうすると新たに共演者を探さなくてはいけません。またギタリスト、歌い手の間の相性というのもあるので寄せ集めればよいというわけでもないのです。共演承諾してくれたアーティストが勧める別のアーティストが自分の好みとちょっと違う場合もあるし、自分の好みのアーティストが他の共演者と相性ぴったりというわけでもなかったり・・・。そして自分との相性も。舞台で聴いて「この人と共演したい!」と思っても仕事を一緒にするにあたり、う〜む、人間性が・・・ということもあり。難しいのです。

とはいっても、最終的には自分の踊りをちゃんとしなくては。いくらいいアーティストに囲まれていても、やはりそのアーティストを率いる実力がないと。実力とは、踊りの技術的レベルの高さではなく(それは最低必須条件だけど、それを準備するのも実は大変だ)、フラメンコをどれだけ理解しているか、カンテやギターをどれだけ聴いているか、その場その場の状況判断をどれだけ迅速正確にし、彼らを引っ張っていくことができるか。これは本当に難しい。それができる時もあれば、できずに「あちゃー」という時もあります。実際は「あちゃー」の方が多いのですが、だからこそ、プロフェッショナルなアーティストと共演したいのです。彼らに救ってもらうためではなく、どこに問題があったのかはっきりさせるため。問題点を自分以外に転嫁させないため。そして自分に率直に意見を言ってくれるアーティストであれば、なおさら勉強になります。次の仕事を期待しておべんちゃらを並べたり、ギャラをもらいさえすれば後は無関心、というのではなく。

がんばろう。これまで一生懸命練習してきたけど、本当はまだ足りない気がします。多分全然足りない。でも与えられた機会を大切に、自分ができることしっかりやっていきたい。そうして積み重ねしていくしかないと思うから。

では、またお会いしましょう。みなさんもどうぞご自愛下さいね。

2010年11月27日 寒いのでけんちん汁を作りました。 セビージャにて。

Nov 20

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか。

コルドバ・コンクールは予選落ちしました。まあそうだろう、とは思っていたのですが万が一決勝進出した時のことを想定して、予選後も結果が分かるまで気合い入れたまま練習していました。我ながらバカだな〜と思いながら。でも最後まであきらめずに挑戦してよかったなと思います。応援して下さったみなさんどうもありがとうございました。

今回振付けした4曲、アレグリアス、ソレア、ティエント、ガロティンはいつの日か日本の皆さんの前で踊れる日がくるといいなと思います。ギタリストのミゲル・ペレスが「それだけ持ってたらいつでもソロ公演ができるよ!」と。そうですね。この4曲に加えてタラント、シギリージャもあります。いろいろ踊れればいいというものではないけれど、フラメンコはその曲ごとにそれぞれの色合い、響き、空気、香り、味があるのでそれらを踊りを通して感じられるのはとても素晴らしいことだと思うのです。フラメンコの持つ豊かさに万歳!!!

それと、この予選に出場した時にスペイン全国紙「エル・パイス」の記者からインタビューを受けました。その一部が記事になりましたのでここで紹介させて頂きます。

2010年11月16日付 (記事:マヌエル・J・アルベルト、 写真:F・J・バルガス)

  • エル・パイス紙の記事(スペイン語)はこちら↓

los-idiomas-de-un-arte-universal-c2b7-elpaiscom

  • 記事における写真はこちら↓

(手前茶色の衣装の踊り手さんは、同じく予選出場したイグチユカリちゃんです。私は奥にちょこっと写ってます。)

記事タイトルは「Los idiomas de un arte universalーEl Concurso Nacional de Arte Flamenco recibe participantes de nueve países.」今回のコルドバ・コンクールにスペイン以外の9つの国(アメリカ合衆国、日本、キューバ、ペルー、ブラジル、メキシコ、コロンビア、フィンランド、モロッコ)からの参加者があった、ということで、フラメンコが芸術として世界的に認知されつつある、という内容の記事です。記事が長いので、私のインタビューのところだけ訳させて頂きます。

ジュンコ・ハギワラが初めてフラメンコを聞いたのは、彼女の国、日本における新体操の試合でである。選手のうちの一人がフラメンコ・ギターを演技に使用していたのだ。幼少にもかかわらずジュンコはその音楽に魅了される。「私にとってそれは衝撃でした。それによって全てが開かれたのです。」と、ジュンコは思い出す。それからというものフラメンコは彼女の中で大きな情熱となり、2002年の渡西へとつながる。

〈中略〉

(回を追うごとに増え続ける外国人出場者の中に)“ラ・ジュンコ”というアーティスト名を持つジュンコ・ハギワラと、彼女と同じ日本人ユカリ・イグチがいた。

〈中略〉

“ラ・ジュンコ”はフラメンコ舞踊のクラスに通い、練習に励み続ける。そのかたわらペーニャやタブラオにおいて不定期で踊る。しかしまだ特定の舞踊団やグループでの専属契約はない。「人によっては、東洋人がフラメンコを踊ることに対して奇異に思う人もまだいると思います。しかし私自身が自分の頭の中でそのような障害を作ってしまっているとも思えるのです。私がすることは、自分自身の壁を乗り越える事、常に前に進むことなのです。」

この記事が出た同日、フラメンコが無形世界遺産として認定されました。フラメンコが素晴らしい芸術であり、それが世界中の国の人々の心を打つものであることには疑問はありません。その意味で今回の認定はとても喜ばしいものであると思います。しかし、そのフラメンコを取り巻く「人」はどうなのでしょうか。「フラメンコは世界遺産である!なぜならアンダルシア人だけでなく、世界中の人をも魅了する芸術だからだ」と声高に叫ぶ同じ人が、「東洋人がフラメンコを踊る?そんなわけないだろう、フラメンコはアンダルシアのものなのだから」と冷笑する現実。

もちろんそうでない人達もいます。偏見なくフラメンコそのものを愛する人達。ロンダのコンクールで私に優勝を与えてくれた審査員、そしてそのコンクールを観に来てくれたウブリケ・コンクールの司会者。予選落ちしたコルドバのコンクールでも審査員のある一人は私の踊りを最初から最後まで凝視し続けていたと聞きました。コンクールだけではありません。私の踊りを愛してくれるペーニャの人達。私には有り余るほどの「愛情」。フラメンコへの「愛情」。

でもそれと同時にそうでない人達の壁。フラメンコそのものへの愛情というよりも、「フラメンコはアンダルシアのものである=(イコール)自分達のものである」というエゴ。フラメンコが世界遺産として認定されるということは、自分達の文化が世界的に認められたということ。フラメンコが世界的に広まり、外国人がフラメンコを愛して学んでくれれば、自分達の文化に誇りを持てるだけでなく、それはアンダルシアの経済発展につながる。その意味では外国人に対してとても開いている。でもその外国人がフラメンコを踊る、歌う、弾くとなると急に閉じる。教養のある人はそれが偏見であり、差別につながるということを頭で分かっているから、それと悟られないように表面的にはうまく繕う。でもその内面は・・・

セビージャに住みその現実を目のあたりにし、自分は日本人であることで差別されているとずっと感じていた私。でもその差別感は差別されている私自身の内部にもあったことに気づいたのです。「私は日本人だから・・・」という「謙遜」。その美しい言葉の裏に隠れている「卑下」。フラメンコに対して敬意を持つことと自分を卑下することをはき違えているのではないか。自分が属する、人種や文化、そして自分自身が彼らより劣っていると、いつの間にか植え付けられていた考え。そしてそれに縛られていることすら気づかなかった自分。なぜ???疑問を持ちそこから抜け出そうとすると「出る杭は打つ」ごとく批判する人達。もしくは最初から色眼鏡で見る人達。そしてその「人達」とはアンダルシアの人だけとは限らない・・・。

フラメンコが世界遺産に認定されても、フラメンコを取り巻く「人」はそうそう変わらないと思います。残念ながら。でも私はその人達を相手に闘うつもりはありません。私が挑戦する相手は私自身だから。自分の限界を作るのは他者ではなく私自身だと思うから。もし他者が限界を作るとすれば、それを限界だと思ってしまう自分自身がいることで、結局は自分が自分で限界を作っていることに変わりはないと思うのです。

小さい頃、家庭の事情で踊りを習わせてもらえなかったけれど、踊りが将来的に私の人生の中で大きな位置を占めるだろうということは、知っていました。なぜだか分からないけど、知っていたのです。そしてフラメンコ・ギターを初めて聞いた時の衝撃。頭に雷が落ちたのです。「これだ、これだ、これだったんだ!」

今までもこれからもきっと同じように生きていくのだと思います。私を取り巻く人も環境も変わるでしょうが。それでも自分という「芯」を持っていたいと思います。そして「芯」は「心」であり「信」であり「真」であり「慎」であり「進」であり「深」でもあります。全部自分の人生に必要な言葉。

ちなみにスペイン語の「シン」は「sin」。〜なしで、という前置詞です。sin miedo, sin prejuicios, sin limites. 「恐れず、偏見や限界を持たずに」これからもフラメンコを学び続けたいと思います。

2010年11月20日 寒いですが「ヒートテック」を着ている私は他の人より薄着なのです。ふふふ。セビージャにて。

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